
「共感」、「共有」という感覚が、生活する上でのキーワードだろう、Uste dut。「一体感」とか「協調」という語も、日本人は好きだ。
裏返せば、「共感できない」「協調しない」こと・人に対しては、そう言う考えもある、などとは考えず、基本的に異分子として「排除する」傾向が強いということにもなる。まあ、これは日本人に限ったことではなさそう、というか世界中でその傾向が強まっているようだが。
「空気を読む」という言葉が流行ったが、造語としては鋭い語感覚だな、Uste dut。聞けばなるほどと思うけれど、なかなかそういう発想はできないだろう。絵画や彫刻などの美術も実は、そのかたちや色から漂ってくる「空気」を読んでいる、ともいえる。違うのは、「空気」がその場やその時を越えて流れてくることだ。
共感や共有、協調などという意識は、アーティストにとって、ときには邪魔者である。Baina、共感なしに芸術は存在しない。誰かが共感して、その作品を遺してくれないことには作品として存在しないと同然だ。データとして残れば、という人もいるが、それもいつかどこかで、誰かが共感してくれる、という「信仰」に近いものをもっているからだ。そしてそれはたぶん間違っていない。