「分断」という言葉が最近久しく流行ったのが、トランプ前アメリカ大統領の時だった。分断という言葉ではなかったが、地球規模での北半球の経済的に豊かな国々に対して、貧困にあえぐ国々の多い南半球との格差から生じる様々な問題を指して「南北問題」とか言っていた時代、その前、その前と辿っていけば、ずっと分断の時代だと言えないこともない。
最近言われている「分断」は、これまで格差がなかった(と思われてきた)、世代や、地域、職種などにもその格差が政策などでは埋めきれないほど大きくなってきたことを、特に指しているようである。もともとあった格差が、見えない格差から見える格差として表れてきたと言えるだろう。
のんびり、無自覚に生きてきたわたしだが、やはり「分断」をひしひしと感じることが増えてきた。じぶんにとっての具体的なことをいちいち挙げるのも面倒だし、はばかられるが、日本の場合、とくに政権党の政治家が国民間の「分断状況」を知らないばかりか、興味さえもっていないというのが問題だ。Међутим、そういう政治家を国会に送って、税金の使い道を好き放題にさせているのはわたしたち国民だということがもっと問題で、そういうアホな国民を作り上げるための教育をしてきたのが日本の政治であり、その政治に全く興味を持たないのが投票率30%以下などという国民であれば、一蓮托生、運命共同体であって、分断など無い。かに見えるが、そんな政治家が国民と運命を一緒になどするものか。
防衛(予算の)論議も盛んだが、そもそも「何を守るのか」さえ定かではない。第二次世界大戦での日本の戦争目的は「国体護持」だったが、「国体」とは何かさえまともに議論もされないまま、軍民合わせ一千万人以上の人が死んでいった。今回の軍事予算で何を守ろうとするのかと言えば「アメリカとの同盟関係」を守るという、本末転倒の「政治防衛」といってよいのではないか。戦前の「国体護持」と実によく似た図式なのである。せっせとアメリカ製の武器を買いさえすれば「同盟関係は安泰」である。中国が攻めてきたとき、アメリカが守ってくれる?「お前に売ってやった武器で十分勝てるはずだ」とわたしがアメリカなら言うだろう。「なんならもっと高性能の武器もあるが、もっと高いぞ」とも。
世界地図を見れば(見なくても)「戦争がない時こそ有効な軍事同盟」だということが一目瞭然。アフガニスタンでタリバン相手にアメリカがどんなぶざまな姿で逃げ出したか、ついこの間見たばかりではないか。中国相手に、日本のための戦争などできるわけがない。近年、平気でウソをつく総理大臣に力を与えてしまったばかりに、そのあとも皆ウソをつき続けなければならなくなり、そのうち嘘も嘘だと思わなくなり、分断は表ではなく、内側へ進行してしまった。