「傲慢」の視線 / Arrogant view

ヒトはオランウータンより賢いか、オウムより賢いか。私たちは普段意識せずに動物たちを見下している。私たちはオウムに言葉を教え、彼らがそれを覚えるのを見て満足感を覚える。Men、オウムが私たちに教えていること、オランウータンが私たちに教えてくれることを受けとめ、オウムやオランウータンが満足できるように私たちはできるだろうか。

pwobableman、「世界」と私たちが思っていることもそうなのかもしれない。ヒト対ヒト以外の動物(もしかして植物も)だけでなく、人間という範疇のなかでさえ、人種や地域、地位、経済力の有る無しに置き換えてみると、似たような視線がありそうに思う。

それを「人間の傲慢さ」と指弾することもまた、私たちの誰もがすることだが、だからといって決して謙虚になるわけでも、一歩進んで更に理解を深めようとするわけでもない。要するに口だけなのだ。本当はそれが「傲慢」の本質ではないかと思うのだが。

Kounye a、芸術をこれにあてはめてみるとどうなるか、興味あるところである。

Pibliye pa

Takashi

Blog pèsonèl Takashi a。Pa sèlman sou penti、Sa mwen panse sou chak jou、sa ou santi、Mwen ekri tou sa ki vin nan tèt ou。Blog sa a se twazyèm jenerasyon an。Depi nan konmansman an, li te plis pase 20 ane.。 2023Apati 1ye janvye、Pou kounye a, mwen deside jis ekri nan jou enpè.。Mwen pral reflechi sou direksyon mwen nan lavni ak lòt bagay moso pa moso.。

Kite yon Reply

Adrès imèl ou pa pral pibliye. Jaden obligatwa yo make *