コロナを通して自分を見る

Non-titled (CG)

先日までと違うソフトで描いてみたイラスト系のソフトにはたいてい「チュートリアル」という手引きのvideoがついていてそれを見てからやるのだが手引き通りにスムーズにいったことはただの1回もない最初の最初からつっかえてそんなはずはと何度もビデオを見直してそれでもなぜか手引きのようにはいかないのが「普通」のたうち回ったあげくようやく分かった気になっても最初の最初にたどり着くまでにそこからさらに数時間もかかったりする手引きではたったの1秒で通過しているのに以前のわたしなら怒り狂ってパソコンを破壊しかねなかった今もかなりイラつきながらそういうイデオムなのだと思うようになってきた

ソフト開発者の多くは画家やイラストレーターではない(らしい)チュートリアルで「やり方を実演する」デザイナーも(説明時間がかぎられているから)それぞれ自分のレベルで早口で説明するのだから初心者は戸惑って当然そのことがが分かっただけでだいぶパソコンの傷が減りわたしの血圧も安定してきた

新しいことを覚えるには膨大な時間と労力が必要だパソコンの知識・理解力から考えるとわたしには普通の人の3倍以上の根気が要るようだコロナ禍の今たまたまその時間が与えられたのだと思っている

多くの人がそうであるようにコロナによって私の生活も大きな影響を受けているつらい影響の一方でわたしは数年前と人が変わったように歩くようになり歩きながらラジオでいろんな知識を得るようにもなった偶然にパソコンも入れ替え様々なソフトも導入した

考えてみればコロナ禍があろうとなかろうとわたしはもっと早くに自分を変える必要があったと思うもしコロナが無かったらわたしは自分を変える最後のチャンスを失っていたかもしれない(実際にはもう手遅れだとしても)人類史的にみればウィルスは多くの生命の進化に寄与しているという面もあるらしい―かすかにうなづく自分がいる

A G T (America’s Got Talent)

Kamome (CG)

最近たまにYouTube でAGT(America’s Got Talentアメリカの新人発掘番組始まりは英国の「UK got Talent」)を見るそこでは「天才」というのはやっぱりいるんだなあと感心する登場する人は歌手が多いけれど「音楽の分からない人」を自認する私にさえ「この人は持っているモノが違う」と感じさせるそれが「天才」というものなのだろうか

凡人には努力環境遺伝 etcどれも必要なもののように感じられるが「やっぱり天から授かった才能!」は別世界のものなのだと思わせるそれが「天才」共通しているのは「自分自身に対する『絶対的な』信頼」そしてもう一つ「自分を認めてくれる場所へ行く」行動力さらに冷静ともいえる「謙虚さ」天才はなぜか奢らないそれが新鮮な発見それも魅力

天才はよく高い山に喩えられる高い山からはそれ以下の山の頂やそれぞれの特徴がよく見える麓にいたのではどの頂が高いのかよく分からないもちろん麓が凡人である-この喩えは頂の高さだけでなく麓の重要さをも暗に伝えている天才を支える「麓」の重要性であるそれをファンと呼ぶのかもしれないがとにかくそういう人々が天才を「天才」にする舞台を作るのは天才の仕事ではなくファンの力なのだとこの番組を見て思う

一方で天才とは野生の蘭のようなものかなとも感じる蘭は植物の中では一種の敗残種競争に負け少ない栄養と厳しい環境で生きていくことを選択した生命だ目立たない薄暗がりが彼(女)らの場所愛でる人は少なくないが育てるのは難しくたくさんの栄養と光の中で大木になることもないふとなぜかエディット・ピアフを想う

図書館が開かない

Apple on the book (study, CG)

2020年12月下旬から県立図書館などずっと休館が続いている「不要不急」がむやみに使われているいま図書館も不要不急の対象ということなのだろう

図書館に本を借りたい人が行列を作っていたり本棚の間が通勤電車のように人がぎっしり詰まっている光景を私はまだ見たことがないだから少なくとも「三蜜(小池都知事が提唱した実にくだらない省略語=密閉密集密接)」が休館の理由ではないはずだもし三蜜を理由に休館した公立図書館があるならそこは高度な文化地域だと逆に誇ってよい(休館前は「マスク」「離れて」「1時間程度」と怪しい館内放送はしていたが)

大相撲が終盤に差し掛かっている上位3強不在の盛り上がらない場所だがそれでもチケット購入の抽選に受かった5000人の入場者が国技館に集まっている私は大相撲ファンの一人でもあるが正直なところ、5000人の根拠はよく分からないし三蜜でない(朝の)通勤電車があるとも思えないそれでも問題視されないのはそれが生活に不可欠だからということだろう人には娯楽が不可欠だだから大相撲はいいそれは賛成だ「知識や思索教養」は生活には「不要不急」なるほどそうか

たしかに少なくとも自民党国会議員にとっては「知識」「思索・教養」は不要不急どころか「禁止」にしたい「敵」なのだろう菅首相の「学術会議会員任命拒否」は実に馬鹿正直なほどそのことを表している彼らが求める「知識」や「思索・教養」とはもっぱら経済活動(簡単に言えば会社のため)を進めるためであり「思索・教養」とは「黙って指示に従う」従順さと「長い物には巻かれろ」という思考停止状態を「社会のために役立つ」と勘違いさせることなのだろう

そう考えれば図書館休館が長引くことはよ~く理解できるできることなら「不要不急」の耐震診断とかやって壊してしまいたいのが本音かもしれないでもそんなことをしているようでは日本の未来など没落以外の想像はできない「ステイ・ホーム」のいまこそ「温故知新」新しい知識や考え方深い思索を育くむチャンスだろうしそれなくして「コロナ後」など老害地獄にしかならないだろう公立図書館があまり活用されていないのは確かだがだから休館しても大したことはないと思っているなら大間違いだむしろこんな大事なタイミングでなぜ利用価値が見直されないのかそもそもなぜ図書館があるのかを考えることは重要なことだと思う生死を分ける「医療」と同列だとまでは言わないがGO TOトラベルや何とかイートの比ではないとは思う