「優柔不断」の思想

「 Yellow apple 」 2020 F120 tempera,alkyd

「思想」なんて大げさだが「早寝早起き」も立派な思想であるというからそれなら積極的な「優柔不断」はもっともっと立派かなというぐらいの気持ち最近「ネガティブ・ケィパビリティ(negative capability)」という言葉を時々耳にするネガテイブな気分に耐える力宙ぶらりんな状態を維持できる能力という意味らしいそれそれあるよね

それでも素早い決断どんなことがあってもへこたれないブレない意志前を向くそんな言葉が巷ではやはりプラスイメージだ「頑張れ」という言葉ももともとは「我を張る」という意味であまり良いイメージではなかったらしいが時代の趨勢で我を張るような人が出世するようになりそれが人々の目指すものに重なってきたのだろう

けれど決断が早いことと結果がいいこととは同じではない「結果が同じなら決断が早い方がいいじゃないか」という言い方をする人が結構いる「結果が同じなら」という前提を勝手に置くずるい言い方だがそもそも「同じ結果」などどうやって判定するのかそこまでの思考回路の欠落した物言いだ「どんなことがあってもへこたれない」人間というより機械ではないか?「ブレない意志」確かに隣の頑固親父も自分の誤りなど絶対に認めないブレの無さだ「前を向く」と言えば第二次大戦で日本軍は常に前ばかり向き決して後ろを見ない精神を強調した撤退を「転進」と言い換えるようなセコい考え方で何万人もの若い兵士達を犬死させたのではなかったかそれが今でもプラスイメージなのはどうしてなのだろうか

「根性」とかいう言葉が私は大嫌いだがあえて言えば「根性」を振り回す奴ほど「根性」が無いからだろうと思っている物事には「根性」などで切り抜けることのできないものが山ほどあるその原因やプロセス結果の予測などじっくりネチネチと考えなければ可能なものも可能にならないことが山ほどあるその思考プロセスの長さ緻密な思考過程に耐えられず「えいっいちかばちかだ」と一切を放棄してしまうそれはいさぎよいなどというものではなく単なるバカだそのバカさを隠すために威勢よく「根性」などと口走るのだと思っているある人曰く「決断できないことが人間だけにできる思考です」だそうだしかしよくよく考えてみると少なくとも3分の1くらいは私もバカの仲間のようである

暇つぶしに忙しい

「 水彩はこんなふうに描けばいいんじゃないか 」

暇だから毎日動画を描いているいやいやそうじゃないいややっぱりそうかな動画を描くには思っていたより時間がかかるだから暇つぶしにはもってこいだいやそうじゃないでもやはりそうかもこんな動画なら最初から「動画撮影」でいいじゃないかでもそれはそれ

東京都の今日の新たなコロナウィルス感染者数は189だそうだ昨日の144よりさらに増えた感染が広がっているだからもっと厳しく「自粛」しなくちゃ?でも東京都1千4百万人から見れば微々たるものに見える

東京都で行われているPCR検査件数は4/10現在、1日あたり約300件だというということは感染者数が最大でも300人/日以上にはならないということでもあるし、300人検査したら189人も陽性だというある種の確率を示してもいる症状のある人だけが検査を受けているのでこの場合の「確率」という語の意味には注意が要るが少なくとも単純に都内で感染者が189人増えたという意味ではない

「感染者数189」昨日より何人増えたとか減ったとかいうことには実は大した意味はなく「症状を訴えた300人を検査したら189人が陽性だった」ということが本質だ症状を訴えても検査してもらえるのは300人までだから実際は陽性であってもそれ以外の人は189人の中にはカウントされていない検査件数を増やせば感染者数は確実に増えるはずだと言い換えてもよい報道が「ウソ」を伝えているとまでは言わないが(意図的かどうかはわからないが)本質的な意味を必ずしも伝えようとしているとは思えない。。142、144、189 、300という「数字」がどんな意味を持っているのかそれがこの「非常事態」での「要請」にどう関わっているのかそれを考えるのも良い暇つぶしかも

「人権」について考える4月

「 Apple-3 colors」 2020 oil on canvas

コロナウィルスによる「緊急事態宣言」が明日(4/7)発令される模様(「緊急」なのに「明日」ということでまさに「(不要)不急」なのだと巷では笑っているが)期間は5月7日頃までになるらしい範囲は東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・神戸・福岡の7都県問題はたくさんあるがともかくこれが「日本のやり方」だなあと思うなりふり構わず来年のオリンピックの前に格好をつけたいということしか眼中にないと見る

4/6正午現在で日本国内の COVID-19 感染者数3,654死亡73少し話の角度は違うが、2019年度の自殺者数は初めて2万人を切り、19,959人(速報値)となった。2019年度の交通事故死は3,215人自殺者は現在でもG7の国の中ではトップで少し前なら年間3万人越えていたという異常な「生きにくい」国だということが分かる交通事故死も年々大幅に減ってきてなおこの数字であるかつてはこの10倍近くもあり「車が多くなったから」的な受動的な視点が普通だった

例年のインフルエンザでも世界全体では数百万人が罹患しほぼ確実に数万人関連の死者が出る今回のコロナ禍では(特に高齢者は)急速に重篤化するということと医療関係者に死者が多いという点でいっそう大々的な報道になっているしかし医療関係者に被害が大きいということの中身をよく見るとその半分は過重労働が誘因で過重労働の要因は各国とも財政上の理由で医療関係者の数やベッド数などを制度として激減させた結果であるとも指摘されている要は政治による「人災」の側面もあるのだが今はすべてが感傷と感情の勢いに流されるまま

毎年およそ2万人の人々を自殺に追い込む「私たちの」社会そこには何の疑問も感じないのに(現在)100人以下の死者数しかない(しかないという言い方に反発する気持は解るが)コロナになぜこれほど大騒ぎするのかということをもう少し冷静に考えるべきではないだろうか多くの自殺者は世の経済などになんらの傷跡も残さずひっそりと片隅で死んでいくそれに対してコロナでは直接自分自身に経済的な打撃が降りかかってくる(特に「経済界」と呼ばれる世界の住人には)「緊急事態宣言」の意味も感染やそれによる死のことより本当はカネのコトなのだろう?と思う