Iwatsuki/fauconi pwosesyon

鷹狩の家康公行列中のひとコマ
ハリスホークを手にきりっとした少年鷹匠たちも参加カッコ良かったですよ

11月3日(月)は文化の日旧岩槻市(現さいたま市岩槻区)で鷹狩行列を初めて見た由来は江戸時代徳川家康が岩槻に何度も鷹狩に来たという史実から行列は今年で13回目だという鷹約20羽行列の総勢100人とパンフレットに書いてあるが見た感じもほぼそれに近かった

晴れていたのは良かったがあいにくの強風で放たれた鷹が風に翻弄され「大丈夫だっ鷹?」とツッコミを入れたくなるほど鷹にとっては狩どころではなかったようだ聞くとだいたい1~2歳の若い鷹でまだ十分な力がないとの事だった近くで見るとあまり見たことのない顔鷹の種類は?と訊くと「ハリスホーク(和名モモアカノスリ)」だという
 (蛇足ながらハリスホークはノスリよりやや小型の鷹で飼いやすく「猛禽類の入門種」といわれているらしい北アメリカ南西部からアルゼンチンにかけてが本来の生息地だが現地では開発のため数が減っているともいうその代わり飼育のしやすさなどから近年は(世界での)鷹狩によく使われるそうだ広場に増えすぎる鳩を適当に駆除する目的にも使われることがあるようだ。)

鷹狩行列は実行委員会と岩槻区との共催だから一種の街おこしイベントだろう。Men、目的達成はそんなに容易ではないぞよ、siman。屋台がずらりなんて光景もなかったしゴール地点の岩槻小学校で寸劇風に将軍家康が「岩槻は安泰余が守るぞ」なんてマイクで言ってたけれど「強風に翻弄された鷹のように岩槻も社会の風に飛ばされんなよー」と心の中で祈ったのだった

fanatik bezbòl

11Telechaje sou 1ye nan mwa a

bezbòl pwofesyonèl、Dodgers ranpòte seri mondyal youn apre lòt nan lig majè bezbòl Ameriken。Otani nan menm ekip la、Yamamoto、Tout twa Sasakis te jwe yon gwo wòl (Pitcher Yamamoto te genyen MVP ak 3 viktwa nan seri a)。Gen pwobableman anpil fanatik Dodgers nan Japon.、Mwen panse ke te gen anpil moun ki te gade li sou televizyon.。

Dodgers vs Blue Jays jwèt chanpyona、Mwen te wè li pita sou kèk chanèl.、Sa mwen te jwenn etonanman enteresan se yon chanèl YouTube ki rele ``Netchu High School Baseball Club'' (mwen panse ke kanal sa a anjeneral bay enfòmasyon detaye sou ``bezbòl lekòl segondè'' nan plizyè rejyon nan Japon).、Yon chanm monitè piblik nan estad la? Fanatik Dodgers yo deyò、Si w gen yon tikè, poukisa w pa gade l nan stand yo? Mwen te panse sa.、Nan yon anviwònman kote tout moun kanpe epi gade (anba monitè a)、Mwen panse ke li ta pi plezi jis frape kò nou ansanm ak reyaji youn ak lòt.。Match nan tèt li te byen sezisman.、Yon seri de bon jwe。Fanatik tou de ekip yo dwe te eksite anpil.。

OHTANI、BETTS、Mwen te kapab wè do anpil fanatik ki te mete mayo KARSHAW.。Sèlman jwè yo ka jwe jwèt (siyifikasyon literal mo "jwè a")、Ki sa ki kreye pi gwo espas ki rele "bezbòl" ki gen ladann jwè yo tèt yo?、Mwen sonje pouvwa fanatik sa yo ankò.。

手でさわれるもの

          「いま机の上にあるもの」  黒と茶色のペン

バーチャルフェイクAIという単語に慣れ過ぎて既に「そういえば昔聞いたなあ」感があるそれにSNSとかYouTubeも加わるだろうかとにかくそういうものが当たり前すぎて意識すらされなくなってきている

Men、それらはみな「画面(モニター)上」にあるものばかり世界中の美味しい食べ物も美しい自然の景観も憧れの有名人もみなモニターの上だ何万もの「いいね!」がついても食べることもその空気を吸い込むこともその人の手を握ることもできないしそれを「共有」するという幻想もまたモニターの上

自分の目の前に在るのは少し固いキャベツの千切りにアジフライところどころ剥げかかってきたカーペットだったりちょっと?くたびれた妻や夫であったりだがそれらはみな自分の手でさわることができる自分の身体と直接繋がっている
 バーチャルフェイクAIもYouTubeもうたかたの夢に過ぎないとまでは言わないしそこに大きな価値があることもある程度は知っているウーバーイーツで頼んだものでも届けばちゃんと手でさわれ美味しく食べることができるシークレットサービスが唇の前に人差し指を立ててもそれを誰かの飛行機が到着する前にSNSで知ったたくさんの好奇心がカメラを構えて待っているうたかたの夢どころかそれが現実の一部でありその仕組みに「さわれること」はむしろ危機を生む
men、さわれないことはやっぱり嘘を生みやすい

手でさわれるものには信頼感があるそれは単なる感傷ではなく生き物の知恵の塊だったから。nan lòt men an、一見さわれるつもりでいるたとえば調味料の成分○○酸◇◇だのには実際はさわれないだから嘘が混じりこむ余地がある自分で買った昆布や椎茸鰹節でつくった出汁なら嘘の入りこむ余地はずっと小さくなるだろう
 紙にペンで描いてもデジタルで描いてもどちらも絵であることは間違いないけれど紙に描いた絵は紙もインクも手でさわれるモノであるのに対し後者はデータ(数値)というさわれないものが絵という仮面を被っているという違いがある―蛇足だが「紙に描いた絵」だって「絵に描いた餅」という仮面ではないかという一種の混ぜっ返しはこの場合論理的に正しくない―
 なんでもアナログが良いなどと言うつもりはないそれぞれにそれぞれの場があることが大事だなあと思う