ಚೆಸ್ಟ್ನಟ್

栗の習作(ペン・水彩)

古代の日本人にとって栗は高級食材であった丹波栗などの有名ブランドは今でも高級食材であるけれど古代ではすべての栗が貴重品だったらしい

今だって山へ普通に行って栗を採って来れる人は全人口の何パーセントいるだろうか流通経済のおかげでお金さえあれば寝ていても宅急便で手に入れることはできるがそういう次元の話をしようというわけではない

栗はドングリよりはるかに有用な植物だった栗同様ドングリにも種類があるが一番多いのは椎の木のドングリだろう北東北北海道を除く日本中の野山ではわりと簡単に見つかる種類であるドングリの中でも「実」の大きいクヌギ(櫟)は高級な方。ಆದರೆ、ドングリを食用にするには強いアクを抜く結構な手間がかかる
 栗はそれらドングリのいずれよりも大きく面倒なアク抜きの手間がほとんど要らず栄養価も段違いに高いしかも木は大木になって建築用材としてもすこぶる有用である。ಅದಕ್ಕಾಗಿಯೇ、古代の集落の周りには可能な限り栗の木を植えたらしいそういえば現在の三内丸山遺跡の場所は三年間毎日のように遊んだところだったが発掘以後は行ってないわたしにとっては必ず行かなくてはならない場所のひとつ

ついでだがマロングラッセという西洋のお菓子がある(しばらく食べてないなあ)マロン=栗というイメージがあるが実は “マロン” は栗ではないマロンはマロニエの実でマロニエとは「栃の木」である日本では栃餅栃蕎麦などに使われるが栗と同列には扱われない近代日本の黎明期パリに集った日本人たちのほとんどは高級人種ばかりで日本の野山で在来の栗など採った経験などない栗の実と栃の実の区別などできない連中ばかりだったのだと想像する
 栗を見るといつもそんなことを思ってしまう

ಹ್ಯೊಗೊ ಪ್ರಿಫೆಕ್ಚರ್‌ನ ಗವರ್ನರ್ ಸೈಟೊ ಮತ್ತು ಮೀಜಿ ಪುನಃಸ್ಥಾಪನೆ

マスカット(水彩)

斎藤兵庫県知事のパワハラ(パワーハラスメント)を巡ってマスコミも女子会なども盛り上がっているようだそこへ維新が知事に辞表を出すよう申し入れたとの報道があった(NHKなど)

馬鹿じゃないだろうかと呆れる維新にもマスコミにも、ಸಂಧಿವಾತ。パワハラが実際にあったかどうかの判断は担当する機関に委ねるとしてまず確認しておかなくてはならないことは知事が知事である理由は県民が投票したからである知事の進退は投票してくれた県民に対して判断されるべきものでいかに維新出身の知事であろうと維新の意向でどうこうすべきものではなかろう単純に次に予想される衆議院選挙にマイナスになるという思惑の見え透いた浅はかで間抜けなポーズである
 同時にマスコミの辞任圧力にはこちらこそ社会的パワハラそのものではないか、ನಾನು ಭಾವಿಸುತ್ತೇನೆ。報道のあるべき姿だとは到底思えないがNHKはじめ自分だけが正義とばかり世論誘導する姿を往々にして見なければならないことは本物の報道機関を失ってしまった国民の一人として情けなく恥ずかしささえ感じる

維新がやるべきことは自分たちが応援した知事の不祥事(だと思うならば)に対し上から目線で辞任要求することではなくまず投票してくれた県民にお詫びすることでしょう票を投じてくれた県民の頭ごなしに辞任要求するなんて県民に対するむしろ侮辱とさえ感じられる維新なんてこの程度だと自ら公言しているようなものではないか

斎藤知事に希望することは辞任せず逃げ回り出来るだけ多くの膿を出し切ること自らの膿も庁内維新の膿もマスコミの膿も言葉は悪いがこれからの政治のための犠牲者になってもらいたいということ一般人ではできない特別の人だからこその汚れ役になってもらうことが一時の県政より有意義なことかもしれないと勝手ながら思う。ಅದೃಷ್ಟವಶಾತ್、知事は辞任要求を拒否したらしい

時々自信をつける

今日も1枚描けた

皆さんこんにちはこのクソ暑い夏も台風のニュースを聞く頃になればそろそろ終わりだなと心なしか口角が上がってくる

年とともに誰しもいろんなことに自信を失ってくる体力記憶力想像力などなど「老人力」なんてベストセラー?の本が出たりするけど、ಓ ಪ್ರಿಯ、要するに「がっかりするのもほどほどにね」というほどのものだろう高齢になっても自信満々というのはバカかロクでもない奴と相場は決まっている

ಆದರೆ、時々自信を回復したり自信をつけたりするのは必要だ落ち込み過ぎて自殺などしても誰も喜ばぬ(と思っておこう)自信も不信も過信も一言で言えば自分自身の「思いこみ」に近い隣を歩いている人よりちょっと早かったりすると「まだ脚は衰えていない」なんて喜んで自信を回復するその人が単に他の人より遅いだけでも勝手に自信が回復してしまうそんな便利な頭が必要だ

あらゆる意味で自信が全くない人というのはこの世に存在しないと思うけれど自覚された自信は時に爆発的な力を発揮することがあるのはスポーツなどでは特によく言われること目標がどこにあるかで自信の持ち方も変わるのも当然だ「必ず優勝できる自信がない」などというのはおそらく他人にはに想像もできないプレッシャーが言わせる言葉だと想像するが不幸な方向性をもったあり方のような気がする「このぶんなら明日も何とかやっていけそうだ」くらいの自信を時どきはつけようぜもっともこれが自信でなく「希望」だとちょっと悲しくなるが