無常無心

一日中憂鬱で絵を描く気力も湧かなかった

教室の仲間がまた一人亡くなったと連絡があった。1月末には退院できるかなと思っていたが、2月になっても復帰できずにいたいつも意欲的で新しいことにチャレンジする人だった。81心からご冥福を祈りたい描きかけの絵があり退院してきたら最終のステップを体験してもらいながら完成へと行くつもりで準備していた

ಇತ್ತೀಚೆಗೆ、わたしの周りでは土木工事解体工事がやたらに目につくようになった時期的なものかもしれないがここ数年では見られなかった多さなにかが動き始めているのだろうか

昨年で銀座等で開くグループ展などから一切手を引いたことは前にもお伝えした通りだが時間の流れと無常を繋いでみるともっと正直に自分の絵を描かなくては、ನಾನು ಭಾವಿಸುತ್ತೇನೆ。人に見せることが絵の宿命ではあるけれど別にそこで共有だの共感だのを求めなくてもいいのだ絵の評価などどうせろくなものではない(今年ある展覧会の審査員をするのだけれど)褒められようがけなされようがせいぜい五十歩百歩だそんなのに惑わされず出来るだけ無心に描くことが幸せへの道ではないかと思うわたしは絵のことしか知らないが好きなことに無心になること自分を澄ますことに憧れる

T団地の午後

ありふれた風景だが、10年後も「ありふれて」いるかどうかはわからない住まいの形態は時代とともに変わるだけでなく戦争などで一気に変わることもわたしたちはいま目の前にしている

平日の午後平和な団地。ಆದರೆ、ひっそりとして人影はほとんどない時どき車が通りときどき自転車に乗った高齢者がよろめきながら過ぎ去りカートにつかまった買い物帰りとみられる老女がゆっくりアパートの入り口に向かっていく

関東の冬は陽ざしがある緑の木の葉がきらきらと輝いている暖かい室内から外を見ているとまるで春のようだ。ಆದರೆ、子どもの声は聞こえない人々の話し声も聞こえない平和なありふれた風景

何でも忘れる

ただいまiPad でブログを書くのに苦労している何を書くかどころではない同じ iPad 上にあるこの画像を載せるやり方さえ忘れている忘れるのが都合のいいのは政治家くらいのもので大抵の人は困ることになる操作方法ではなく考え方自体が分からなくなるのだーそれでも何とかここまで辿りつけたのはそれなりにが働くようになってきたということだろうかちょっとだけリテラシーができてきたのかな?

新作を幾つか構想中。ಇತ್ತೀಚೆಗೆ、全然制作していないのでこっちの勘はすっかり錆びついてしまった。ಎರಡನೇ ಆಲೋಚನೆಗಳಲ್ಲಿ、制作も毎日続けないと効率も悪いしアイデアも浮かばなくなるし技術力も落ちる一方あらゆることが全てそうだ。ಆದರೆ、毎日すべてのことをやるなど不可能な事も事実

ಸರಿ ನಂತರ、どうするの?というところで振り出しに戻る。ಸರಿ、この絵はこれからどうなるのか今のところはわたしにも分からない