3日ほど予定より遅れ、本日アップロードしました。文字通り、ご笑覧あれ。
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"Harrituta" egoteagatik harrituta

「感動する」って、よく言われるし、よく聞く言葉でもある。わたし自身は、つとめて「感動」という言葉を “使わないように” 、使わないようにと、意識してきた。感動という言葉は、わたしにとって「命」という単語に近い重みを持っているので、そうそう簡単には使えなかったのだ。
Baina、人間なら誰しも感情を持っている以上、「感動しない」なんて有り得ない(でしょ?)。そういうこともあって、「感動」ってことを、あらためて考えた。
個人的な感動体験だけで論評するのも問題だとは思うけれど、他人の「感動の中身」についてどうこう言えるほど、わたし自身に心理学的、医学的知見がないので、自分自身をモルモットに、話を進めさせていただくことにする。
よくよく、自分の「感動体験」を思い出してみると、その直前では「心の状態がフリー」だったような気がするんです。「感動」には、ある種の衝撃を受け入れる「心の余裕」、隙間があったような気がするんですよね。
言いたいことは、すでにお察しのとおり、「心の余裕」ってことですが、それは「(生活の)余裕があれば感動できる」って意味じゃないことなど、言わずもがな。この(難解な?)ブログを見てくれている人に、そんな馬鹿などいるはずはない。Ez dago、もしも「体力的に限界ギリギリだったらどうなんだろう?」とは思っていたから、そういう体験記(談)にはなるべく接しようと心がけてきた。
人間って凄いです。命が失われるその瞬間まで、「感動」を述べた人々の記録は、山ほどあるんですよね。人間の「感動するさま」に、あらためて感動する思いです。
Eguberri on

今日はクリスマス。朝、濃い霧の中の農道を自転車でひと回りしているあいだ、スマートフォンのラジオからずっとクリスマスソング。そうか、ヨーロッパはまだイブなんだ。
先日の絵をワンサイズ大きく、YouTube用に改めて制作してみた(現在編集中)。思ったより時間かかったわりに、準備がいい加減だったので、仕上がりもそれなり。自業自得だからそれはそれでいいが、こういう誰もがやるようなことではなく、拙くてもいいから、もっとオリジナルのアイデアを掘り下げ、かたちにしなくちゃなあ、と一年分の反省が濃縮されて胸に迫ってきた。
おかげで、ケーキもほんの一口しか食べる気にならず、脂肪が増えつつある身体のためになった。現実と想像を適当に組み合わせで描いた。