澄んでいること

ビー玉とりんご

透明なものになぜか人は心を惹かれるようだ「宝石」はまあ特別としてもガラスが玻璃と呼ばれ宝石以上に珍重されたらしいことは奈良正倉院のペルシャガラスが今に伝わっていることからもわかる古代インドあたりに栄えたムガール帝国のムガールグラスにも決して現代のガラスのように透明ではないがやや乳白色がかったぼんやりした反透明感にもえもいわれぬ魅力を感じたことを思い出した

「透明」と「澄んでいること」は同じではないが共通したイメージはあるさらに想像をつないでいくと「澄んでいる」と「濾過された」も意味が近づいてくる濾過された水は美しく透明であるが危険でもある栄養分すら取り除かれてしまい「水清ければ魚棲まず」となることもあり透明に近い血は死の危険性が香る

完全に透明なものは目に見えないはずだからそこに光が反射したり屈折があったりほんのすこしの淡い色があったりすることで「透明」と意識されるそれは澄んでいることにつながり長い時間をかけて「濾過」された水のイメージにもつながってくる川底の石が見える清流に心を癒されるのはそういう時間を経た安心感にも依っているに違いない

澄んでいるものはどれも儚(はかな)い簡単に汚されてしまう貴重なもの。ನಾನು ನೋಡುತ್ತೇನೆ、わたしたちの心の鏡のようなものなんだそれは純粋でありたいと願う精神とも深くつながっているだろう大事なものを見るには澄んだ目が必要だ。ಅದು ಸರಿ、そのことをもっと大切にしよう

「動画」というやつ

ワインを注ぐ

「動画」というやつは「動く」あたりまえだ絵を描く動画など作りその編集に四苦八苦したりしてきたが基本的に動いている奴を動いているままに見せるチーターがガゼルを捉える動画のようなのがその典型なんだとシンプルに思えてきた

現在の動画(映画も)でも少しずつ位置やかたちの異なった基本的には1枚の写真を連続することで成り立っている上のパラパラ漫画(形式上GIF動画というらしい)もそう。1秒間に何枚の写真または絵を見せるかで画像の動きの滑らかさが決まりだいたい30枚、60枚(60コマ)あたりがよく使われるこの動画では1秒15コマに設定し、15枚の漫画を描いたから1秒で終わるグラス15枚その色で15枚ワインの瓶で15枚ワインの流れで15枚の全体で60枚の絵を描くことでこの1秒の動画ができているわけです。ಸಹಜವಾಗಿ、同じシーンなら複製のコマを作って並べます

パラパラ漫画を作ろうとすると描く人に相当の負担がかかるアニメも基本的にパラパラ漫画だからものすごい数の原画が必要で、ಅದಕ್ಕಾಗಿಯೇ、できるだけ手分けしても原画を描く人(アニメーター)が大勢いないと大変だってことになるいわゆる「業界」はそうなっているらしい

ನನ್ನ ವಿಷಯದಲ್ಲಿ、変なところでつまづく例えばパラパラ漫画の作り方をもう忘れていたり(ひどすぎる…)描いたら描いたで保存の仕方このブログにアップする方法が思いつかないとか…そんなこんなで半日費やすあちゃ~たまにやらないと忘れちゃうとか考えるよりいっそ永久に思い出さない方が充実した一日が過ごせそうな気もするんです

「透明感」の表現

試作とバリエーション(制作中)
 上ワトソン紙に水彩
グラスのりんご  キャンソン紙に水彩

ಇತರ ದಿನ、水彩教室で「水の透明感」というテーマをやってみた。ಆಗ、今度は「ガラスの透明感」をやってみたいというリクエスト当然ですよね

「透明」感とはごく単純に言えば「向こうが透けて見える」ことだとわたしたちの経験は教えてくれている水の底の石や藻や魚が見えるからその水は透明なんだなと感じてきたのですそしてそこにほんのちょっとの物理学でいう「屈折」や「フィルター」としての水の色が被るとさらに信憑性が増すことももう知識化されてしまっているそれはビニール袋やプラスチックのパックでも同じ

17世紀、18世紀のヨーロッパの油彩画にはガラスの器に果物を入れた絵がたくさん描かれているそれが当たり前になってしまった現代から見るとつい見過ごしてしまいがちだがガラスがやっと世の中に普及し始めた頃の「ガラスの透明感」の描写力はルネサンスにおける「透視図法」に匹敵する「画家の力量チェックポイント」だったのです油彩画よりは水彩の方が水彩よりパステル画の方がさらに透明感の表現は難易度が増します仮に色鉛筆で透明感を表現しようとすると結構難しく感じるでしょうだからこそ積極的に「ガラスの…」が描かれたのでしょう自分のテクニックをアピールするために

上の絵はアピール用ではありません念のためこのキャンソン紙の素材はGrain たぶん小麦の殻それもあってかすこし滲みの大きい古風な味わいの出る紙ガラスの硬質な感じにはちょっと合わなかったかなと感じました