空中浮揚の夢

        「青柿」  水彩+アクリル

ちょっと変わった夢をみたどこかの山奥の村わたしの故郷とは全く違うがなんとなく既視感がありどうやらそれなりの期間ここに住んでいたっぽい雰囲気身内の人が住んでいるくらいだから。la、親戚らしいわたしより2つか3つ年上のおばさんがかつて習ったという先生がここに住んでいるとなぜかわたしをその人の住宅に案内した

留守だったので帰ろうとするところにその先生が帰ってきた見るとまるで女子中学生か高校生という感じ計算上どんなに少なくとも80歳は絶対越えていなくてはならないはずなのにシワひとつなくマシュマロのように真っ白で滑らかな肌にアーモンド型の大きなはっきりした眼鼻はクッキリ小さくピノキオのように少しとんがっている

その異常な若さを疑問に思いながら誘われて中へ玄関を入ったところにちょっとしたスペースがあり上を見ると円錐の底から見上げたような穴が開いているドーム天井というほど優雅なものではない何の穴だろうますます不思議な気持で居間に移るなぜかわたしの記憶の中の品々がそこかしこに置かれている「へえ~!」と言ったかどうか忘れたが近づいて手にとってみようとしたら何となく体がすっと浮いた気がする
 足元を見ても別に浮いてはいない。mè、もう一歩踏み出すと今度は床を踏んだ感覚がないあらためて足元を見ると10センチほど浮いている!

二階も見てというので玄関ホールに戻り円錐状の穴の下へ行くすると先生の身体がすうっと吸い込まれるようにその穴に吸い上げられていくわたしもおばさんも続く
―(中略)―「先生はどうしてそんなに若いんですか?」と溜まった息を吐きだすように疑問を口にするわたし「この家は不思議な家でところどころ無重力のところがあるの」「身体に重力という圧がかからないから顔も身体も垂れ下がってこないのよ」「だからかも」と微笑む―(後略)―
 

Kotodama

"Modèl Trase" dlo koulè

Mo Lespri a se、Pami moun ki te ekri tèks fin vye granmoun, "chak fraz se yon mo、Se nanm nan transmèt bay moun yo nan fraz la、"Nou pa ta dwe janm itilize mo ki fasil pou fè."、Aparamman li te di souvan。

Paske mwen se yon tòde、Jis tankou nan ekspresyon skultur tankou penti、Li pi bon pou innover ak detwi l '、Se tankou lide aktyèl la Trump.、Li neglije mo yo "mo" tèt yo。

Men、Resaman、Petèt sa ki te konpreyansyon fon mwen an、Mwen te panse anpil tankou sa a。Petèt sa a gen yon siyifikasyon ki pi pre "fè egzèsis"、Sa vle di。Entèpretasyon nan mo sa yo se tou yon ti jan la.、それ自体が逆説的な言い方であって、Li ta ka tou "entansyon an di" si ou vle aplike li (oswa reyalize li) ""。
Se sou lòt moun、Pou di yon bagay tankou "ekri" nan mo yo、Soti nan moman sa ivè, li vin tounen yon "nouvo egzistans" ki kite tèt li ak vin endepandan。Egzistans sa mare ou、An menm tan an, li sèvi tou kòm yon fòs kondwi pou avanse pou pi.。Petèt se sa li vle di、Se sa sa vle di。Mwen pa、もともとの意味は初めに述べた通りであろうが

Se pa sèlman ou di yo dwe fè atansyon、Ke nou ta dwe mete nan mo sa nou vle fè posib。Ak mete l 'pi lwen、Li ka vle di tou pa eksprime sa ou pa vle。Sa yo rele "abominab la"、Mwen si ke se jan li santi l。Lespri mo sa yo pi wo pase ou、自分自身を変えかねないというある意味で怖い感覚でもある。"Bon mo、Menm move mo yo pral retounen nan ou. "Sa a se pwobableman siyifikasyon an vre nan Lespri Bondye a nan mo yo.。

日の温み

関東地方の一部わたしの住んでいるあたりはここのところずっと晴天が続いているたまに強い風もあるが飛ばされるほどのこともないまあまあ穏やかな年の瀬だと言っていいだろう

地球の人口は2024年で81億人を越えているプランクトンとかハエとかそういうものを除けば(いやハエより多いかもしれない)いわゆる動物の中で人類ほど多くいるものは他にない

食料とエネルギーを他の動物から奪い消費するだけでなく知識を使い加工して新たな資源として利用することができたからだ。mè、一人の人間が100年も200年も生きてはいられないようにあらゆるものには限界がある地球上の陸地の上にたとえ500億人が立つことができたとしても立っているだけでは人は生きられない木も草もなく鳥さえいない地平線の向こうまでぎっしりの人間が坐ることさえできずにただ立っているだけではそれはもう「繁栄」という名の地獄と呼ぶしかない地球の姿だ

もちろんそうはならないそこまでいかないうちに人類は殺し合って半減するはずだからである地球の平和は人類が滅びることでしか生まれない―そんな妄想さえ浮かぶ年の瀬でもある穏やかで温かい日差しそれは誰にも公平に分け与えられていると思うのは浅い夢に過ぎない多くの場合奪いとり奪われるものとして人類は生きてきたのだった
 この子も食料とエネルギーと平穏を奪い取られないようにずっと思案を巡らしているのかもしれませんよ