
青いカモメの会絵画展が今月14日㈫から19日(日)まで開催されます。手前味噌だとは承知の上ですが、今年はたぶん、例年以上に熱気にあふれた会場になりそうです。上手い絵もあれば下手な絵もある素人ながらの展覧会で、かつ高齢者の集まりであるのに、なぜかパワーに溢れています(出品前段階ですが)。

青いカモメの会絵画展が今月14日㈫から19日(日)まで開催されます。手前味噌だとは承知の上ですが、今年はたぶん、例年以上に熱気にあふれた会場になりそうです。上手い絵もあれば下手な絵もある素人ながらの展覧会で、かつ高齢者の集まりであるのに、なぜかパワーに溢れています(出品前段階ですが)。

「青いカモメ絵画教室」による「青いカモメの会絵画展」が9月14日から始まる(19日まで)。その準備のためもあって、あちこち資料を移動したりするうちに、ヒョイと開いたスケッチブックの1ページ目にこの絵があった。するするっとその時の情景が目の前に浮かんでくる。
もう何年も見ていない、今はさいたま市になった岩槻の市営野球場だ。岩槻の絵画教室の人たちと、この球場のある公園で野外スケッチをしたときの一枚。ほんの数年前のような気がするが、わたしも含め、みんな若かったように思い出す。誰がどんな絵を描いていたのかも、およそは覚えている。
秋だった。何度かここでもスケッチ会をやったが、描いたのは秋の記憶しかない。天気の悪い日は出かけなかっただけのことだろうが、眩しいばかりにイチョウの葉が輝き、足元に深々と積もる葉を蹴飛ばしながら描いたっけ。そういう元気で行動的ななかに、ふと感じた哀愁の気分。それがこの構図になった。

この作品は一応完成としたけれど、未完成かもしれない、そんな気分の絵です。本(画面上部の見開きのようなかたちになっているところ。本らしく見えないかもしれない)のページ部分を、最初はある程度白く塗りつぶすつもりでしたが、ここまで来て、この「未完成状態」のまま「完成」でいいのではないか、という気になったのです。
「描き過ぎ」というのはわたしにはよくある。特に時間がない時。時間のせいで薄っぺらいと思われたくないのか、かえって普段より描き込んでしまうことがままある。時間があるときは何度も中断して頭を切り替えることができる。コーヒーなど飲みながら、十分な距離を取って何度も眺めることができる。焦って描いてはいけないのです。
mè、あまりに単純じゃないでしょうか。暗めの緑の、似たような彩度だけで描くことがひとつの狙いなので、単純さはその結果でもあるのですが、絵である以上、それでもなにか心に訴える感じが欲しいのです。この絵ではビリジャン(青緑)の大きな平面にそれがあればいいのですが。
しばらく放っておくことにします。大事なことがあれば、向こうからまたなにか呼びかけてくるものです。聴き逃しや聞き違いをしないように耳を澄まし、静かに眺めながら待つ絵でしょうか。