How to be a critical thinker

「Green apple and a book(unfinished)」  2021 tempera on canvas

表題は「どうやったら物事をよく考えられるような人になれるか」というような意味critical は「批判的な」という意味があるが日本的ないわゆる反対するという気分より「人の言葉を簡単には信用しない鵜吞みにしない」「迎合せず自分の頭で考える」というニュアンスの方が強いようだ欧米では子どもの時からこのことを訓練するらしい

「自分の頭で考える」そんなのあたりまえ日本だってやっているとは思う。Међутим、自分の頭で考えたことを「人前で発表する」まではなかなかいかないのが現状ではあるまいか発表すればリアクションがある好意的なものばかりとは限らない発表する側も批評する側もそこで考えが深まり自分の頭で考えることの「中身」が深化することになる。зато、発表するということはとても大切なプロセスなのだ

日本の学校ではなかなか「発表」ができないあってもある程度決まった方向だけに偏り賛成意見ばかりになりがちだとも聞くそんななかであえて反対意見または疑問を述べるのはかなりの勇気がいる先生も反対意見を述べる子が孤立したりするのを恐れてか適当なところでまとめてしまうもう数歩進めるには先生の側にもそれなりの力量が要るのだろうたとえばNHKの「徹底討論」が「徹底」といつも程遠いのはおそらく似たような心理が働くからではないかと常々思っている

相手を論破したり説得できた方つまり論争で勝った方が必ずしもが正論ということではないしよい意見だということでもない反対意見によって自分の見落としや考えの足りないところを考え直し双方ともよりよい意見になることが良い討論でありそういう謙虚な姿勢があれば最終的に意見が一致するしないに関わらずそれぞれより深い考えに発展する

その意味で反対意見は貴重で大切なものだ。Међутим、当然ながら発表することがなければ反対意見など出るわけはないこうした発表と討論の訓練を経ることで発表する前によく考えるようになり発表した後にもさらによく考えるようになる日本では選良中の選良であるはずの大臣ですらこのことがよく出来ていないのではないかと思うことがけっして少なくないのが残念である

コーヒーミル

コーヒーミル

7月末からコーヒー豆を挽いて淹れているこの「淹れる」という語はコーヒー以外に使う用途がある語なんだろうか?という疑問はともかく豆を挽いて飲むという優雅さがいいなとずっと思いながらその気にならなかった

ずっとインスタントだけで過ごしてきてそれで別に不満もなかったのだがコロナ禍の影響でその気になったのかもしれない豆を挽いたからといってどうということもないとりあえず朝一杯だけ淹れてみている。Ох, Боже、長続きするかどうかの練習だと考えている。2週間ほど経ったがすこし面倒くさくなってきたところ

今年もチャドクガ予防の時期だ

「Apple and Book 」 2021   tempera on canvas

一昨日午前中若干涼しそうな気がしたので気になっていた庭の椿(ツバキ)を点検した点検目的は「チャドクガの卵塊」探し葉の表裏を一枚一枚丁寧に調べ卵の産み付けられた葉を探し出して袋に入れ捨てることこれをやればだいたい秋(9月~10月)の第二次発生は防げる

初めは涼しそうな気配だったが、30分もすると汗が滲んでくるチャドクガは卵塊でさえ毒毛でびっしり囲ってあるので絶対に素手や素肌で触れてはならないそのために長袖シャツを重ね着出来れば厚手のゴム手袋をして袖口をしっかり止める帽子眼鏡マスク首回りのタオルも用意足元はゴム長夏の盛りにこの格好をするだけで暑いがこれは戦闘服だと覚悟するしかない

チャドクガは庭木の害虫で一番「人的被害」の大きい虫だろう完全防備したつもりでもこれまで何度も皮膚科医院に行かされた強敵だ約1時間半点検して怪しいものを含めて10枚ほどの葉を切り取った全部がチャドクガの卵だとすると7~800匹から1500匹前後の幼虫の孵化を未然に防いだことになるこれらが一斉に孵化する時期を見逃したら大変あっという間に葉が食い尽くされるだけでなく家の中に飛び込んでくる成虫の蛾の毒毛の危険にもさらされることになる

汗びっしょりになった体を強いシャワーで流す万全の態勢で作戦を実施したつもりだったが袖口周りがヒリヒリと痒いどこからか毒毛が入り込んだに違いない注意したおかげで赤い発心はぽつぽつと小さいが痒みは鋭いずっと薬を塗り続けやっと今日になって落ち着いてきたチャドクガの卵塊排除はツバキサザンカ茶ノ木が庭にある人なら必ずやった方がいい時期は春先と今頃の2回必ず見落としがあるから、1週間ほど開けて、2~3回は点検する