無題−2

無題ー2

Adobe社のFrescoというアプリにアニメの新機能が加わったというニュースを10日前に知ったがやっと昨日試すことができたこれがたぶん4個目くらいの試作だがやっていると「なんでこうなるの~!?」ということがいっぱい出てくる。1つ覚えると4つぐらいそんなのが出てくるがそれを繰り返しながら一つ一つ覚えていくしかない道具の使い方を覚えるというのはそういうものだ

この動画ももっと面白い動きがあったのだが自分でも分からないうちに削除してしまったらしい自分が何を削除しているのかさえよく分かっていない(今も)これ以上なくならないうちに、في الوقت الراهن、お目にかけておくことにした

こういう動画を時間かけて作るのがバカバカしいと思う人はいるだろうわたしも薄々はそう感じながらやっているが「それを言っちゃあおしまいよ」と誰かのセリフを頭の中で繰り返しながら黙々と何時間もやっている他にもやることはいっぱい溜まっているがもう少しやらないとそれこそ無意味になってしまうとか言って

動画の内容に意味はまったく無い。لكن、逆にその無意味さに救われる繰り返し見ているとなぜか笑ってしまう。و、無意味な動画作りが無意味なのではなくてやらなくてはと思っていることの方が何だか無意味なように思えてくる結構まじめに描いては再生描いては修正しているうちに自分がこのドタバタのなかに入りかけてくるもう少しクルッと回ろうかなとか

自由・表現―2

Mu.da.i 2021.11.16

前回は本当の自由を得るためには「自分からも自由になる=自分(の欲望・煩悩)を捨てること」というある禅僧の話だったなるほどなあとわたしは思ったが同時に世の中の99.99%の人には無理かなあとも考えた

欲望・煩悩を捨てて得られるものは何もないいや本当の自分と自分の時間が得られるというのだがそれがどう具体的に現れてくるのかは判らないそうした「悟り」近い心境に至って初めて見えてくる自分・自分の(行動)表現というものはあるだろうと想像できるしそうでなければできない表現というものも思うことはできる

一方、99,99%の人の中にはむしろ正反対に欲望・煩悩に忠実であろうとする人もいるのではないか「人目を欺く」ことを目的にどんどん先鋭化させていくそんな方向性その行きつく先はどんな世界なんだろうなんだかわたしには幼虫が自分を羽化させて蝶になる毛虫の姿が重なってくる毛虫がその時点での「自分」だとするとやっぱりそれまでの自分を捨てて-本当の自分になっているんじゃないんだろうか

そこでは一つの輪のように同じことの異なった位相を見ているだけなのかもしれないもしそうならば・・・。لكن、どっちにしても中途半端はダメなんだな(いや単なる位相が本質ならばそれもまた同じことなのかも知れないが)とわたしは(現時点では)感じているそしてやっぱり99.99%の人はきっと中途半端な人に違いないとも思っている

自由・表現とは―ある禅僧のはなし

教室用デモ制作(未完成)

誰も気にせず好きな時に好きなことをするそれが自由だ―「それは違う」とある禅宗の僧侶が言うそれは自分にとらわれている好きな時好きなことそれらの多くは一過性刹那的で少し待てばどうでもよかったのかもしれないという類のものだ

自分は朝3時に起きて身の回りのことを始める億劫でないことは一度もない(=億劫だ)があとで考えるとやはりそれが良かったと思えるからそうするその時もう少し寝ていてもいい(自由)があとで残念に思う毎日の日課が決まっている何をするか考えなくていい(思考からの自由)。لهذا、自分がどういう存在なのか自分とは何なのか大きな時間を自由に遣う事ができる、صديق。

なるほどなあ、أعتقد。彼は外国人だが若い時から「もっと自由に生きたい」と感じて親元を離れ国を離れ仕事を離れて日本のお寺に来たというところが修業では全く自由がないいや勝手にしても誰も何も言わないのだがどんどん孤立していく経本を読むことさえできないのだが誰も教えてもくれない孤独になり国に帰りたくなったでも「国に帰って自分はどうする?」―すべては自分から始まっている―だからあらためて「自分に還る」そこから世界が変わったという

なるほどなあ、أعتقد。自分に還る―「本当に」自分のやりたいことをやる刹那的瞬間的にではなくそのためにどうするか―何かを得ようとするのではなく捨てること空になることだ―そうだわたしも同じアドバイスを頂いたことを思い出したそれであらためて仏教のことなど勉強したんだっけ
―本当に自分のやりたいこと―それが表現になっていなければそんな表現はいずれ「人目を欺く」類のものに過ぎないのかな、أعتقد。何と言ってもそういう種の表現であればこそお金も名声も得られるのだし―それを捨てる(「諦める」とは違うと思う)ことの難しさ厳しさそして自分の表現のことを想う