アップデート

ソメイヨシノの花影は薄い

アップデートというのは新しい機能を付加したり同じ機能でもより使い勝手が良くなるように改善すること無駄な機能や使用頻度のほとんどないものを捨てることも含めてもいいかもしれません

ところがわたしの場合特にパソコンがアップデートされるたびに使いにくくなるばかりそしてやっとの思いでその使いにくさに慣れてくるとまたアップデートなんという意地の悪い会社(マイクロソフトのことだ!)なんだろうと毎回腹が立ちます

でも人に言わせるとそれはわたし自身がアップデートできてないからなのだそうです言われてみれば確かにちっとも新しい知識や使い方周辺情報をアップデートできていないことに思い当たりますソフトのアップデートはアップデート(の用意)ができている人にむけて送られているものだというのです

アップデートするには(たとえ少しずつでも)不断の努力が欠かせませんアップデートするということはそれらが毎日わずかずつでも更新され続けてているということなんですねそのようにしてさえ「今」についていくことは難しいのかもしれませんアップデートしないできないということはただひたすら自分が化石化していくことですか動脈硬化どころじゃありませんね怖いですねえマイクロソフトごめんよ

青いカモメの会・絵画展へのご案内

4月9日(水)午後から「青いカモメの会・絵画展」が始まります埼玉県春日部市の「粕壁市民センター」ですことし名称変更になったのですが多くの人には「春日部中央公民館」の方がずっと良く知られていますお間違いのないように願います

「青いカモメを描く絵画展」と勘違いしてカモメの絵ばかり並んでいると思った「カモメのファン」と一度だけ偶然に会場でお会いしたことがあります「カモメ(海鳥)」をテーマにした絵画展ではありません伸び伸びと絵画の空を飛んで欲しいと願ってのネーミングですその名の通り皆さん伸び伸び自由に描いていますぜひご覧くださいますようお願いいたします

桜を描くのは難しい

       「桜のある風景」 水彩

桜に対する日本人の “熱愛” は “超” 特別だその一種の「異常性」が普通の日本人(わたしも含め)には正常と感じられているという異常性の出発点は「小学校の桜」にあるのではないかと多くの人が述べている通りだと思うわたしの知る限りでも校庭に桜が無いという学校を見たことがない現実空間には存在しない「デジタル小学校」のようなものがあったとしてもきっと画面のどこかに桜が入っているに違いないとさえ思う
 さらに花のタイミング幼少期の大きなイベントは多く学校に関わることが多いその中でも入学卒業は特別な意味を子どもにも感じさせるその背景にいつも桜がある東日本大震災は3月だった震災直後の満開の桜はその清々しさゆえに喜びよりもむしろたくさんの日本人の涙を誘ったものだった桜は単に花であるだけでなく深い心情を伴った象徴でもあるそのことがモノとして桜を描くことをさらに難しくする

そういう意味でほぼ100%に近い人が一度は桜を描いた(描かされた)記憶がありそうだそしてその90%以上の人が(ピンクをただ塗りたくる以外に)どう描いたらいいか悩んだ経験を持っているに違いないわたしも小学生の頃に感じたそのコンプレックスがずっと尾を引いて今も解消できずにいる。Anplis,、風景としてはあまりにも普通過ぎて新たな視点を見出しにくい桜への熱愛に比して公募展などでは桜の絵がむしろ少なめなのはきっとそういう理由だろうと思う