キリストの顔と筆柿

「青柿2個」  ペン+水彩
「筆柿」

スーバーから「筆柿」を買ってきた(写真)ずっとわたしのイメージの中にあった「筆柿」より数倍立派筆柿は知っているつもりだったがこれは初めて見たかもです渋柿らしいけれど上手に渋が抜けていて美味しかった

わたしの頭の中の「筆柿」は筆より小さい?「土筆(つくし)」だったのだろうか?ローソクの焔を逆さにしたような感じでもう少し小さく貧相な顔立ち(ごめんなさいね)だったような気がしてきた通りすがりの垣根の向こうに生っている柿工場裏手の誰も採らないままの筆柿もこんな立派な柿ではなさそうに見えた

この「筆柿」を見ていてわたしはルーブル美術館だったかどこかで見たロマネスクの磔刑のキリスト像の顔を思い出した柿の実の上部の「変な出っ張り」と下膨れのかたちが哀れにもイバラの冠を被らされたキリストの輪郭とおぼろげに重なった

ちなみにキリストの冠のイバラはどんな種類かについてちょっとだけ調べてみたことがある
 多くはセイヨウヒイラギ説とトウダイグサ科のハナキリンという説柊(ひいらぎ)は葉に棘がありハナキリンは茎に棘があるセイヨウヒイラギはクリスマスにドアのところに飾るクリスマスホーリーに使われているハナキリンは育ててみたことがあるが見た目には冠とはちょっと違うと思っていた途中で枯らしてしまったので分からなかったがそのまま成長すると蔓状になるらしい「冠を編む」という点ではこちらの方がむしろ符合するのだそうだ(ともかくハナキリンは痛いよ)
 そういえばずっとあとになってそのキリストの顔を水彩でスケッチした記憶も甦ってきた

من معرض ياسو إيشيمارو الفردي

مكان المعرض الفردي ياسو إيشيمارو - معرض ناتسوكا (كيوباشي، طوكيو)。18حتى اليوم)
جزء من العمل

ذهبت إلى معرض ياسو إيشيمارو الفردي.。خرجت معتقدة أن الأمر رائع، لكن、هل هو بسبب الإعصار رقم 23؟、كان الجو حارًا ورطبًا بشكل مدهش。هل لا يزال السيد إيشيمارو كما هو؟ يبدو أنك في حالة جيدة ولديك قوة بدنية جيدة.。كما هو الحال دائما、وذلك لأن الطاقة المنبعثة من الأعمال المعروضة、وبالمقارنة مع المرة الأخيرة، فإنه لم يضعف على الإطلاق.。

كالعادة، تم اصطفاف الأعمال الكبيرة في صفوف.、على الرغم من أنها قد تبدو مهمة بسيطة للوهلة الأولى، إلا أنها、إذا نظرت عن كثب، فهي حساسة حقًا.、أستطيع أن أرى أنك تقضي الكثير من الوقت。

الدافع للخلق、الحرب العالمية الثانية、وجود أوتسوشيما التي كانت قاعدة للسلاح الهجومي الخاص للجيش الياباني "الطوربيد البشري - الكايتن"、يقال أنه مرتبط بعمق بفترة نموه.。لكن、ولا يحتاج المشاهد إلى معرفة ذلك.。فقط كن صادقا بشأن العمل。

ما أشعر به من العمل هو "الندوب"。ليست صورة للألم、الندبة هناك。ولا أجرؤ على البوح به أو إظهاره.、أنا لا أحاول إخفاء ذلك、انظر إلى الندوب هناك。بنهم、حاول أيضًا أن تتعاطف مع الجرح نفسه، ليس ببساطة ولكن بعمق.。موقف مثل هذا الكاتب、يشعر بالنظرة。

المربيات

「ベビーシッターズ」

公園で遊ぶ子どもがそろそろお母さんと一緒に一人ずつ帰っていく夕方そんな図に見える。لكن、それはお母さんではなくそれぞれのベビーシッターたち

ここには描かないが真ん中に“見張り役” の人がいる東京のド真ん中でのとある日常一枚のエスキースを描いてみる