Μια παραλλαγή του "πρωινού καφέ" που επέστησα νωρίτερα。Κοιτάζοντας το καβαλέτο、Αισθάνεται αρκετά διαφορετικό από το να το βλέπεις στο διαδίκτυο。Το έχω δοκιμάσει αρκετές φορές έτσι、Είναι απαραίτητο να καταπιείτε τις διαφορές στην όραση、Νομίζω για άλλη μια φορά。πρακτική、πρακτική。
学生時代は多くの人にとって、先の見えない不安と、自分だけではどうにもならない圧迫(閉じ込められ)感を感じやすい時期です。。たぶん今の学生さんでもそうでしょう(卒業して社会に出ると、慣れてくるというか麻痺してくる、鈍感になるのですが)。Υπό αυτή την έννοια、ごく一般的なテーマだったとも言えます(もちろん表現は個々それぞれです)。 その後もズバリ「カプセル」という題名で何枚も描いているし、それをテーマにした作品もたくさん発表してきました。「シェルターの男」という連作もあります。シェルターですから何かから「護る」のですが、これもひとつのカプセルと考えていいと思います。 だから、ずっと継続しているテーマであるとも言えますよね。「閉じ込められる=閉塞感」と聞けばマイナスイメージですが、たとえば「種(たね)」という題名の絵も何枚か発表しています。それなどは、そこから発芽、成長するというプラスイメージを与えるでしょう。