ダイエット

「ホネ貝と西洋梨」 水彩 F4

メタボ予備軍との判定をきっかけに渡りに舟とウオーキングを始めたことは何度も書いた早朝ウォーキングが以外に気持ちよくそれが続けられた理由であることも書いた(急激に始めたせいで少し膝を痛め自重中)プラス面だけでなくこんなマイナス面もあるが足腰がしっかりしてきた実感もある

けれど「メタボ予備軍からの脱却」という目標から考えればまずは「体重を減らす」ことが最優先課題だ運動は健康には有効であるものの体重減少という点ではあまり有効ではない本命は「カロリー制限」である

前提条件として自分の「適正体重」というものをまずは知ることから多くの人にとってはすでに常識なのだろうが自分としてはまともに向き合ってこなかったから基礎知識が全然足りないことを感じた私の場合適正体重は現状から-10kg。لكن、それはすでに「絶望的」

私は「適正体重」の方を諦めることにしとりあえず2ヶ月で―2kgこれならたやすく達成できそうだ(と最初は思った)目標体重と仕事の内容(肉体的か事務的かなど)から必要カロリーを計算する私の場合体重1kgあたり25~30kcalとしてそれからここ数日に実際に摂ったカロリーを計算してみると「恐ろしい」現実が・・・気を取り直して目標カロリーを「3食+おやつ」に振り分け実際のメニューとカロリー表とを試算してみるとにわかにメニュー」が「仮想現実」感を帯びてくる「小太り」のままでもいい理由を探しはじめる…

早朝ウォーキング

氏子の人たちが境内で落ち葉を燃やしているところに遭遇(7時半ころ)

今朝(12/18)でウォーキング歴ちょうど1ヶ月とりあえずウォーキングは続いている特にここ数日は夜明け1時間前に飛び出していく最低気温が氷点下になってきたがもともと寒いほうが好きなのでその点は全く苦にならない雪でも降ったら喜び勇んで外に飛び出すタイプ(まるで犬だ)

私の場合健康維持だけが目的ならウォーキングは続かない実際これまでそうだったではなぜ今ウォーキング?と言われれば「寒くなってきたから」がたしかに本当の理由なのかもしれない

中学生の頃は雪の林の中を一人で歩くのが好きだった早朝ならなおさらピリピリした冷たい皮膚感覚と「一人でいること」が気持ちよかった「冬の早朝ウォーキング」はそうしたいわばちょっとだけ動物的な感覚を取り戻す機会になっているのかもしれないそういう意味では夏にはもうウォーキングはしていないかもしれない

それにしても早朝ウォーキングの人の多いことこれは私の「一人」感覚を阻害する。مع ذلك、よく観察していると多くの人は私同様「一人だけで歩く」ほうを好むように見える夕方は歩かない自転車でウォーキングならぬウォッチングに時々行くが公園の周囲などまるで隊列を組んでいるかのように続々と人々が歩いているとてもその中で歩く勇気は湧いてこない人々の健康志向の強さがある意味すこし不気味だからかもしれない健康志向が強いということは逆に言えば常々将来の健康に不安を感じていることの裏返しなのだろうか健康を崩すということがどんな悲劇をもたらすか日々ニュースなどで肌身に感じるからなのかもしれないその点には私は鈍感らしい

「失敗」の「成果」

「少し急ぐ」 水彩・F4   2020.12.12

「失敗」と「成功」は正反対の概念のように思える一見両立しないコインの表裏のようだがよく見れば「表」と「裏」はわずかな厚みの差だけ「失敗」と「成果」ならどうだろう「成果」は失敗からも成功からも得ることができる私の場合特に失敗から学ぶことの方がこれまでは大きかったように思う

失敗から多くを学べるようなケースもあれば成功はしたものの僥倖的な成功体験が次の大失敗につながる事例を私たちは日常的歴史的に経験してきた(している)「失敗は成功のもと」はまだまだ死語ではない

「なぜ失敗した(する)のか」冷静で粘り強い分析はよく言われる「プチ成功体験」よりある意味でかなり積極的な姿勢だと思う失敗から目を背けず失敗という他人目線の批評を越えて未来を肯定する指向性をもっているからだそもそも行動しなければ失敗さえできないそのうえでそういう指向をするとき「失敗」はすでにひとつの立派な「成果」だと言ってよい

私たち(日本人)は失敗をつい「自分の力の無さ」「人に迷惑をかけた」などと卑下しがちで失敗を「怖れ」「隠し」それゆえにことさら他人の失敗を非難したくなる国民性を持っているようだそうした「失敗の個人化」ではなく「失敗こそ共有財産」と認識し多くの人の意見の中でその分析をし未来に繋げていく粘り強い冷静さを持ちたいそのような国民性を育てるためには何が必要か私たちの国にはこれまでそうした論理性が育たず実際ほとんど考えてこなかったコロナ禍の中であらためてそのことを感じる日々