クモ膜下出血-2

斃れた男 F4 テンペラ 2011

頭が制作モードになかなか切り替えられない調べてもきりがないがクモ膜下出血に関する知識(役に立つものは一つもないのだが知らないままでいられないのが本音)だけは増えた病気の発症を防ぐ方法は無いようだしMRIなどで脳動脈瘤があるかチェックし適当な運動などでごく一般的な健康維持に努めるのが予防としてはせいぜい

父は一昨日あたりからリハビリを始めている手術後9日目急性期リハビリというが本人は術後2日目から自覚的に始めていた家族のこともよく分からない意識状態で「動かさないと動けなくなってしまうから」とはっきり言ったのには驚いた母の体が弱くしょっちゅう病院へ乗せていくため運転ができなくなったり日常の雑事に支障が出たら困るといつも考えているからだろう少しボケかけた母も父のことが心配で普段よりは頭がしゃっきりしていると弟が言っていた確かに電話での話しぶりとは違いしっかりしていた

千葉県鴨川市に住む妻の母も高齢の独り暮らしすっかり体が弱り食事を作るのさえ億劫らしいがもっと困るのが買物数年前から買い物カートにぶら下がるようにして歩くのだがバス停まで往復3㎞の坂道はきつい買い物後の荷物を入れて1.5㎞の上り坂はもう無理だと思うが介護支援はしてもらえない自力で買物に行けるという基準らしい商店街に近い街なかで暮らしているのとは条件が違うのに

自分のことで精一杯に暮らしているうちに親たちは加速度的に年を取り生活困難者になっていくそれがいまや現代日本の一般的風景だ経済大国と豪語していた時代の貯金はいつの間に使い果たされてしまったのだろう日本の借金は一千兆円になる

クモ膜下出血では基本的に身体麻痺は起こらない。لكن、出血の反応で脳の血管が収縮する(血管れん縮)のが普通でそれが二次的に脳梗塞を引き起こす可能性が高い2週間を過ぎればそれも安定する以前はそれから回復期リハビリというのを始めていたが今は体を動かせるようになればすぐに始めるらしい入院の当日からというケースさえある

父の容体は安定してきていると思う。لكن、家族との生活精神面社会との関わりなどこれからの方がはるかに大変だ現在もたくさんの人々がそのことに苦しんでいるそれでも父などは幸せだと思うある意味充実した医療の恩恵を受けられた

لكن、これからの若い人がそんな恩恵を受けることがこれからも出来るのだろうか医療技術の進歩は確実だがそれが享受できるためには経済的制度的思想的な支えが要るそれをこれからの日本が支えきれるのだろうか大震災に揺られて以来日本全体がクモ膜下出血しているような錯覚に囚われる頭がすっきり制作モードに切り替えられないのはそのせいもあるような気がする。2011/8/26

絵画の技法

旅がらすの男(部分・制作中) F6 テンペラ

上の絵は 昨日の「シェルターの男」を少し進めたものテンペラ混合技法で制作中絵を描くということについて少なくとも現代においては精神性のみが重要視され技法や画材などは重要なものとはほとんど見做されなくなっているようだ

しかし実際には絵を描こうと思い立って画材店を訪れた瞬間から画材と技法は頭から離れなくなるに違いないよく「絵なんて思った通りに描けばいいんだよ」「自由に伸び伸びかくこと」と言われる私自身もおそらく数百回は口にしただろうけれどそれができるのには実はある条件を満たすことが必要なのである

ある条件とは何か一つは油絵の具に限ることもう一つは画材に関する特別に鋭い感性があることだと思う

油絵の具を選択すればほぼ「思った通り」「自由に伸び伸び」は誰でも手に入れることが出来る出来ないという人は「思った通り」が自分自身の中で曖昧なままなであることが原因イメージをきちんと確認すればほぼ誰でもその人なりの「思った通り」が実現されるはずだ「自由に・・」は・・ネバナラヌを振り捨てられるかどうかだいずれにしても本人が問題で画材については万能だと言っていい

لكن、油絵の具以外ではたとえば最も使いなれているはずの鉛筆や水彩絵の具でさえ思い通りに伸び伸び描ける人は稀だましてや日本画やテンペラフレスコなどと言うに至っては日常的な想像ではまるでついていけない「特別な感性」のある人だけがその基本的な性質だけを参考に技法にまで想像力を届かせることが出来るだろう

باختصار、油絵以外はどれも技法的な制約をかなり強く受けどうしても技術に固まって「自由に・・」とはなりにくいということだこれはプロの作家でも変わらない

けれど作品には精神性こそが大事で技法など重要なことではないというのはやはり正しいと私は思う。باختصار、油絵以外の画材を「運命的に」選択したならばその技法を徹底的にやりぬきまるで無意識であるかのように扱えるようになる以外にない絵画において最も重要なモノはイマジネーションそこでは技法(への意識)など邪魔なのだ

そのことを最近になって思い出したそういえば今日も暑い日だった室温36度。نهاية الذكرى السنوية。甲子園の高校野球は青森の光星学院がかろうじてベスト8に進み奈良智弁学園が9回のツーアウトから対横浜高校1-4を9-4にひっくり返した世の中は予想外想定外があることの方が普通なのだということも   2011/8/15

 

若さについて

シェルターの男(制作中)  F6  テンペラ

最近テンペラを再び基本からやり直している(原則からと言った方がより正確)ことは前に書いた。و、我ながらすごいなと少し自分を見直してもいる

私がテンペラの作品を初めて制作したのは1981年だから今年は30周年にあたるすごいというのは最初からこの技法を自分流に造り変えていることだテンペラに無知で試行錯誤しながらだったことがその源だが今あらためてテンペラの原則を確認しながら描いてみると当時の直感がことごとく極めて正確なことに少し驚く

若さだと思うもしも基本というものを学校などで教わっていたら多分習った通りのやり方で描いていただろう(それはそれで間違いないことだ)画集を見ても作品の現物を見ても技法書を読んでも肝心なところは分からない結局は今ある知識を総動員して想像をめぐらし推理して実際に試してみるしかない絵を描くということはそういう実際を体験しながら自分独自の作品を作っていくことだということをまさに地でいったことになるその直感力が今より格段にシャープだ感性が若かったのだと思う

反面本当の技術の奥深さは直感だけでは掴みきれない部分がある若い分だけ思考も知識の総体も不十分で本物を知らない独りよがりの怖さもあるでもそれでいいのかも知れない結局はどんなかたちになろうと自分の身の丈しか表現できるはずはなくまたそれで十分なはずだから

いろいろ世事に振り回される生きている以上誰しも避けられないことだが年を取るとあれこれ先回りして考えることが出来るようになりそのことが逆に自分を規定してしまうことにもなる想定外のことは考えない思考停止状態になってしまうのだ若さの特権は想定外のことをまるで当然のように想定することでもあるちょっと話が逸れるが日本の社会も想定内のことばかり考えるようになっているように見える若い人が住みづらい国になるわけだ

中川一政が男は50代、60代が一番弱いと言ったその理由は子どもの教育と親の面倒と自分の家庭と仕事のすべてが一人の肩にのしかかってくるからだという確かに。60を過ぎればかえって若くなるとも言っている私の周りを見てものびのびと自己主張の絵を描ける画家は確かにその年代あたりからかも知れない今の苦しみが60過ぎてから活きてくることを信じる以外に今はないようだ 2011/8/14