シェルターの男-2

シェルターの男 f6 Mixed-medium

``Shelter Man'', que está programado para ser exhibido na Exposición Shinshunkai deste ano, está a piques de rematar aínda que aínda non pintei moito.。Recibín unha chamada sobre a data límite das fotos.、Pensamento。

A obra anterior foi creada o ano pasado.、O primeiro traballo de "Shelter Man"。Lembro debuxar algo casualmente e algo que me sorprendeu.。Despois diso, debuxei 10 pezas de ``Shelter...''。A forma dos refuxios cambiou recentemente para parecerse ás cápsulas.。Falando de "cápsula", parece estar asociado con palabras clave relacionadas co Gran Terremoto como a central nuclear de Fukushima e a radioactividade.、A produción comezou a finais do ano pasado、Máis de 4 meses antes do gran terremoto。Non está directamente relacionado co terremoto。

Que é "refugio"?、Porque é un dispositivo para protexer algo.、Neste caso tamén、este home? debe estar intentando protexerse de algo。Pero "de que"? O "home" tamén no título、Non sei realmente se é un home ou non.。

Producido por Gori Kirinaka。Pode ser unha lanterna máxica propia das persoas que se perden.、Debe haber algo máis aló da néboa、e···。

ハッチングは癒しの効果?

Capsule-2 (part) f4 Mixed-medium

1か月くらい前からやたらにハッチングを多用しているハッチングとは面相筆のような細筆で細かく線で描き込んでいくテクニックのこと薄い絵の具を何度も重ねて一本の細い線を描くつまり一本の線の下には数本または十数本の線が積み重ねられていることになる

ハッチングは油絵技法が完成する前のテンペラ画に主に使われていた古典技法のひとつだが現代では描写的説明的との理由でほとんど使われなくなっている私自身もここ数年は半ば封印状態だったなのになぜ今になってそれを多用するのかといえば頭よりも目と手だけ時間と手間だけが膨大に必要な単純作業によって癒されるからだ

震災の衝撃から1か月後私自身にもひとつの問題が起きた表面だけ見れば私自身の判断ミスによる小さな問題のようだったがその根は深く私にとってはこれまでにない深刻なものになった

精神的なショックで絵が全く描けなくなってしまった人の噂や人の口他人だけでなく自分をも信じられなくなりこれまでやってきたことがすべて無意味だったのではないかと強く感じた新たな作品に気持ちを向けようとしてもそのことが頭から離れない同時に絵の方から厳しいしっぺ返しを受けたのだとも私は感じた「生活のために絵画講座や絵画教室などを開きいつの間にか最優先すべき絵のことをおろそかにしてしまったこれは絵が私に下した罰なのではないか」

余計なことを考えずに細い線にひたすら没頭できるハッチングが癒しになっている

85歳の初個展

hoxe、85歳を記念しての初個展をする人(女性)の作品陳列を手伝ってきた油彩画11点水彩画23点の見ごたえのある会場になった明日が初日で会期は4日間のみ会期中は晴天に恵まれそうだ

絵画は全くの趣味好きというだけで描いているそのピュアな良さが存分に出ている好い個展だプロでなくても公募展グループ展などに出品するだけの相応の力のある人や逆に公民館活動などによく見られる「勘違い」レベルの人(絵だけのことです失礼)のどちらでもない、Noutras palabras、ごく普通の絵の好きな人がことさらな邪欲のないまままるで子どものような単純な向上心を持って素直に描き続けてきた屈託のない絵がそこにある

器用では全然ないが無神経でもない上手くはないがそれなりの工夫はある斬新というほどのことはないが古さを感じさせない。Noutras palabras、それなりの見るべきところはある絵画展なのだ

こういう絵は実際にはどこにでもあるはずだ。pero、案外に見ることは多くないそれは何故なのか?それはより上手くなっていわゆる公募展レベルになっていくか(この場合必ずしも良い意味には使っていない)あるいは駄目なままか(言葉が大変悪いが半分くらいジョークとして受け取って下さい)変な考えに毒されて更に駄目になる場合が多いからではないかと私は以前から考えている

素直な向上心(素直なだけでは物足りない)を持ち続けることが難しいということなのだろうこの人の絵の仲間のお一人が最近亡くなったがその人も素直な向上心を持ち続けた方だった良い仲間は大切だその仲間を喪ったことが今度の個展を後押しした理由の一つであることは(聞いてはいないが)確かだと思う 2011/5/18