繻子蘭(しゅすらん)

繻子蘭の花が咲いた(背後の明るい緑の葉は無関係)

繻子(しゅす)は織物の一種のこと(英語ではSatin:في صقيل)、لكن واحدة من نسج الأساسي、الكثير لم تعد كذلك الأذن。ولكن مع شركة معان فريدة من نوعها、وهل أدت إلى اسم هذا السحلية。

بساتين الفاكهة الحرير (ولكن غير مرئية في الصورة) تحت ورقة、يجري تمديد منخفضة سميكة ينبع كما الثعابين منحنى فضفاضة ذهابا وإيابا。قد يكون من الجيد أن نقول إن "، كما زحف"。الأوراق هي أكثر سمكا قليلا、لامعة مثل المخمل على السطح。في عمق الأوراق الخضراء الداكنة、هذا أيضا جميلة بالصور هي خطوط متوازية أو عدة من القاعدة إلى عروق حمراء تلميح。مكان بارد ليست جيدة、يبدو تقريبا مثل درجة حرارة تصل إلى الناس。

حوالي 2 قبل أيام من الزهور بدأت تتفتح。الزهور لطيف جدا。ادعى في البداية في مثل هذه التركيبات زيارة هناك。حجم القطر زهرة من حوالي 1cm。مقارنة مع "امرأة الكلبة" مثل كاتليا、حقا أنيق كارين。أيضا لأن الزهور الصغيرة على الرغم من ينبع سميكة نسبيا、I المفضل。"الأشياء الجميلة حقا、لتحقيق هو قليل الكلام "في الغالب unspectacular。

 

未完の完

題名不明 2000〜2005年頃 油彩 163×130cm

先週5月の気温と言われた木曜金曜日のあとは再び2月の寒さに戻るという天気予報だったが今朝も引き続き暖かい今年はもうこのまま春になってしまうのかもと思ったら庭に雪がある!夜のあいだに降ったらしい

春愁という語があるどこといって身体に悪いところはないのに何となく気分が塞ぐ感じを言うようだ今はまさに春愁なんだか全てがゆっくり逆回転しているような嫌な気分心臓は問題ないと思うが心に問題がある?

写真の絵は同じく最近剥ぎ取った作品未完成のまま放ったらかしていたどう仕上げていいか分からなかったからだ何年も考えても分からなかった今も分からないおそらく既に描くべきところは描いてしまった感覚はそう言っているが頭がついていけないのだ自分でも理解できないうちに絵は完成してしまった絵とはそういうものかも表現も面白い

倉庫から

「海峡」 1996 油彩 160×130cm

倉庫で作品の整理と木枠からの引き剥がし作業をしていて古い油絵を引っ張り出した油彩画をやめてから30年以上だと思っていたが時々は描いていたことになる保存状態は良好だった

今見るとイメージにムラがあるなど完成度は高くないが湧き上がるイメージをそのままどんどん描いていく率直さがあってタッチにも伸びやかな若さを感じる古典絵画の勉強も少しはしていたからそういう面も素直に現れていると思うそう一言で言えば自分に素直な絵だ

この頃は3m、4mという大作も含め一年に120〜150枚は描いていた注文などいっさいないのにほとんど朝から晩まで描きづめそれが何年間か続いていたはずどうしようもなく暇で他にやることが無かったのだろう二度の大きな引っ越しの際にそれぞれ数百枚ずつ剥ぎ取った絵が山になったのを覚えている懐かしい時代の遺物