першы сон года

ここ3日ほど連続で4時過ぎに目覚める足が冷えるせいだろう長い夢を見る

初夢も覚えている正月飾りなど一切しなかったが夢の中で何かお供えをしなければと思っているらしい何もないから筆でも供えようというと(誰かが)「いのちを供えよ」というので夢の中でも驚いたがなるほどと納得もした

その翌日だろうかいきなり俳句が浮かんで目が覚めた「俳句」だよ?俳人でもないのにほとんどの日は夢の中で絵を描いている時々は他人の絵を見ていることもある背丈よりずっと大きな絵を大きな刷毛のようなもので描いている誰かが「もっと〇〇でなきゃダメだ」というがそれが分かっていてもなかなかできないのだ

Гэта квітнеючыя нарцысы

水仙まつりが開催されていた

1/3からぼちぼち外に出始めた今日は郵便局へ行ったついでに少し遠出してみた

比較的近い公園で「水仙まつり」が1/5〜とあったのを見たのでとりあえずそこへ好天で風もないので結構な人出だった水仙は満開近い感じ快晴続きのせいだろう

пейзажы спрабавалі

「風景」習作

今年は「風景画家」になるそれが目標ととりあえず宣言しておこう
あっその前に「あけましておめでとうございます今年もよろしく」です

毎年何度かチャレンジするがいつも中途半端で挫折風景が問題なのではなく考え方がちゃらんぽらんだから。І、なんの反省もなく同じことを繰り返す繰り返すほど失敗データだけが積み重なり頭は失敗のカスだらけになる

「風景画家」はともかく私だけでなく現代のどの画家にとっても風景画は難しいそれは写真の視覚と戦わなければならないから写真の機構機能的レベルはすでに人間を遥かに超えているしかもそれが誰の手にもありそのレベルに慣れっこになっているどうやってそれと戦うのか?その戦略なしに迂闊に風景画など描けないから

канешне、私たちの頭はまだ19世紀にあるから通常は普通の風景を上手に描いていれば(むしろその方が)十分に楽しい