
「絵には何が描いてあるのか?」って、なんだかバカげた質問のように感じますよね?たとえば○○の風景、とか△さんの肖像とか、だろ。ω αγαπητέ、それが普通・・でしょうか。
「○○の風景」という題の絵の前で、本当にこれがその地の風景だと思って見ているんでしょうか。展覧会などで、絵ではなく「絵を見る人」を鑑賞していると、わたしにはとてもそうは思えないんです。例が適切でないかも知れませんが、たとえばゴッホの「カラスのいる麦畑」。αχ、麦畑にカラスがいる風景なんだなー、ってホントにそう思いながら見ている人など、一人もいないんじゃないでしょうか。
当たり前のようですが「カラスのいる麦畑」で、あなたが見ようとしているのは麦畑でもカラスでもなく、「ゴッホ」ですよね。麦畑の隅っこにイーゼルを立て、短髪にぎょろぎょろした眼を光らせながら、気が狂ったかのように筆をキャンバスに叩きつけるように描いている、耳のない人。あなたが見た「カラスの・・」には、キャンバスの端っこにゴッホが描かれていたはずです。και、あなたはその麦畑のなかでカラスの声を聞こうとしていたのではなかったですか?。
多くの人は、たぶんそういうふうに絵を見る。そういうふうに絵を読んでいるんですよね。
嬉しい?ことに、それがAIにはできない見方、読み方だと思います。○○風景という文字データと画像(映像)データがあれば、これを結び付け、さらにいまわたしが書いたような記事があればそれも読み込んで、第三者にもっともらしく説明することはできるようです。
Αλλά、人間には「○○風景」というテキストデータがあり、そこに画像データがあるにもかかわらず、「そこ(データ)にないものを読む」ことができる。AIにすべてを奪われず、なんとか共存していくためにも、「絵を読む」ことに努めましょう。