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Tehlikeli Isı

"Hamanasu Çiçekler ve Meyve" Suluboya

Bu çok sıcak、Bu yıl kaç kez söyledin?。"Sıcak" kelimesini söylediğinde、Kendimi çok sıcak hissediyorum、"Sıcak" demeye çalışıyorum、2-3 derece daha düşük gibi hissetmesi garip.。herkes、Nasılsın?

Ama öyle olsa bile、Haber ve hava tahminleri son zamanlarda bir dizi "tehlikeli ısı" na neden oluyor。Sadece duymak beni boğucu hissettiriyor, sanki 2-3 derece daha yükseğe çıkıyorum、Bu bir tür "alarm"、Yapabileceğim hiçbir şey yok。Her gün, akıllı telefonumda "Lütfen dışarıda egzersiz yapmaktan kaçının" ve "dışarı çıkmak için acele etmeyin" gibi haber raporları alıyorum.。

Haberlere göre、"Tehlikeli ısı" tüm dünyaya yayılıyor.。Kuzey Afrika'da meydana gelen ısı dalgası "caron"、İtalya ve diğer yerlerde, 40 ° C'nin üzerindeki sıcaklıklar birkaç gündür devam etmektedir.、Birkaç gün daha、Roma'da Avrupa'nın rekorunu aşması muhtemel olduğu söyleniyor 48.8 ° C.。Sıcaklığın Çin'de zaten 50 santigrat derecesini aştığı söyleniyor.。Dürüst olmak gerekirse, hayal etmek istemediğim bir sıcaklık.。
O durumda、Herkes bir soğutucu kullanıyor mu?、Muhtemelen hayır。Soğutucu olmayan insanlar için (arızalar veya finansal veya diğer nedenlerden dolayı kullanamayan insanlar için)、Bence bu gerçek bir "tehlikeli ısı".。Yaklaşık on yıl önce miydi?、Benzer bir ısı dalgasının Avrupa ve Amerika'ya çarptığı zamanlar vardı.、O zaman birçok insanın öldüğünü hatırlıyorum。
Güney Ukrayna'da、Kolera gibi bulaşıcı hastalıklara baraj yok edildikten sonra sellerden kaynaklanmıştır.、Görünüşe göre sadece siperler gibi daha kötü ortamlarda yaygın olduğu bildiriliyor.。Bence "Bir savaş falan varsa?"、Dünyada sadece bir kişi bunu durdurabilir、Çift korkunç gerçek şu ki, sadece çılgın Putin。

 暑い日差しの中で海水浴をしながら海岸べりに群生しているハマナスの実を採ったりした子どもの頃のことなどこの異常な世界の中ではまるで夢の中の出来事のようです。her halükârda、夏はまだ始まったばかり(確かまだ梅雨明けもしていなかったはず)どうぞ“ご無事に”この夏をお過ごしください

夏祭り終わる

祭りのラスト山車納め15分前

わが町(市だが)の夏祭りも昨日の日曜日午後10時終了となりました自宅のはす向かいに神社があるので毎夕笛やお囃子太鼓の練習がそこで行われていました引っ越してきたときはうるさく感じましたがいつの間にか慣れてしまい聞こえてるのに聴いてないという耳の使い方ができるようになってしまったようです気分が沈み加減の時などは元気も出悪い気はしません

わたしが学生の頃有名な東京の三社祭でも担ぎ手がいなくなり祭りの開催自体がやっとやっとだったのを思い出すとひところの祭りブームほどではないけれど隔世の感がありますコロナの後ですから(今もコロナは続いているようですがもう医療機関自体がオオカミ少年のように思われてしまっています)なおさらそう感じるのでしょうか

日本の人口は年々縮小し地方へ行くほどその幅は大きくなっているようです祭りができるかどうかは市町村が存続できるかどうかのバロメーターでもあるのかもしれません広報を見ると当市も少しずつ人口が減少しているそうで替わりに少しずつ外国人の方が増えてきていると感じますもっとたくさんいろんな国の人が住みやすい街になり地方から国際性が育てばいいと思いますが地域の閉鎖性を考えるとほぼ希望は持てません
 祭りは地域の繋がりを作ります暖かみのある地域はたくさんのこうした交流を通じてできていくものだと思います。diğer taraftan、強い繋がりは強い排他性も同時に持ちやすいものです野生動物の縄張り意識にも似た組織身内意識のようなものでしょうか。Bu、いつの間にかグロテスクに変質していくさまをわたしたちはウクライナ戦争の始まりでもやっぱり見てしまいました

大事なのは「ひと」以外にありません。。祭りは一人ではできませんしできたって一人じゃ面白くないでしょう山車を引く人も見るだけの人も一人ではできない「何か良いもの」を共有できることが愉しいんですよね再来年開催予定の大阪万博が内外に今一つ不人気なようです想像ですが主催者には見積書しか見えてないのではないでしょうかひとりひとりを「人数」としか見ない社会には未来は見えてこない万博がそれを証明するイベントになりそうな気がしています

ひとが死ななければならないことって

「黄色い壁」水彩 コットン紙

タレントでYouTuber の「りゅうちぇる」さんが亡くなったというニュース自死(こういう言い方もどこか気になりますが)だという活動自体も詳しくは知りませんでしたがあの人懐っこい笑顔からは想像もしていませんでしたどんなにか苦しんだことだろうと心が痛みます

昔よりといってもいつのことと比べたらいいのかわかりませんが現代に近づくにつれて理不尽な死が増えているのではないかという気もします生命はもともと死を望んではいない(たぶん)のですべての死は理不尽なものだという言い方もあるかもしれませんがわたしなりにいえば(全然定義になっていませんが)よりよく生きたいという希望に反する死のことです

ウクライナ戦争でも多くの若い命が毎日数百人という単位で亡くなっているのをわたしたちは知っていますロシア軍であろうとウクライナ軍であろうと戦争への大義名分があろうとなかろうと本当のところは戦争で命を捨てたいと思っている人など一人もいないでしょう戦争のようなもちろん本人がしたいわけでも始めたわけでもなくやらない方がいいに決まっていると誰もが理解可能なのにそんなことで死ななければならないなんてなんて理不尽なことでしょうか。Ancak、個人では止めようもない大きな力が人を死に向かわせますその力はどこから来るのでしょうかなぜなぜなぜと問い詰めていくと誰でもあることに思い至るでしょう

病気、kaza、自死で私自身の周りでもすでにたくさんの人が亡くなりました死は生命あるものに必ず訪れる宿命ですがだからといって他者がどうこうしていいものではありませんどれほどの死者があろうとそれぞれの命はそれぞれ100%であってそれ以下になるわけではありません「死」は本人でさえ触れてはいけないものなのです。Ancak、人を簡単に死に追いやる「言葉」「制度」「欲望」世界にはいま80億を越える人間がいますその知恵の積み重ねがこれなんでしょうか