tarafından eklendi tarafından eklendi

フェルトペンで風景を描く

ふるさとの川を描いてみたコロナでしばらく行けなかったから3年前の風景だ今年は帰省するつもりでいたのに腰痛が悪化残念ながら直前になってキャンセルきっぷも取れていたのに・・・そんなこともあって

ビデオを作ってみると頭の中で考えていることの十分の一も伝えられないことが痛いほど分かるある程度納得のいく説明をしようとするとどこまでやってもきりがないできた動画を見るといかにも物足りないが仮に納得いくものができたとしても本人以外の誰もそんな動画を見るはずもない

わたしにとって動画製作は今のところ恰好の「ボケ防止」になっているのかも知れないけれど絵を描くだけでなく撮影録音パソコンでの編集ナレーションとその作文YouTubeにアップする作業が毎回大変なストレスでもしかするとボケを早めている可能性もあり得るとにかく一銭にもならない膨大な時間を費やしているのになぜか必死にやってしまうのが自分でも不思議

無題(何度目かの)

なんだか元気が出ない暑いとかあちこち痛いとかそんなのが全部まるまってのしかかってくるのか分からないがパソコンに向かっている今もなんだか首が重たい

上のエスキースの中で良いのはこの部分だけ風に吹かれてどこかへ飛んでいきたいって気分がチラッとあるかな―かたちは悪いけど凡庸過ぎるアイデア・表現だけどそのぶん記号化されてしまっていて郵便局のマークのように「気分」が使える(それがいいのかどうかは別として)

エスキースについて(何度目かの)

エスキース1

エスキース2

エスキース1は今年 1月頃のエスキースエスキース2は今日(8/12)パッと見、1の方が断然いいじゃないですか?エスキース 1はモチーフどうしの関連性がまだ全然バラバラとりあえず描いておくだけって感じなのに

2はそれなりに考えがまとまってきているが絵が説明的で全然面白くない

スペースの使い方を比べると、1の方がずっと視覚的に合理的だと思えてくるやっぱり絵は目で見るものなのだ描いてある内容(モチーフ)の論理的つながりより線の太さとか色のコントラストとかそういった視覚要素の力の差

最低2つのアイデアがあって初めてそこからエスキースがスタートするこれはまだアイデアのレベル論理的であることと造形要素の効果的な使い方を両立することそこを詰めていくのがエスキースなんですよね