「無意味」をジャンプする

スケッチブック

人生の残り少なくなった時間でなるべく「無意味」なことはしたくない=意味あることをしたいと考えていたその一方で生きるということにもともと意味なんかないという考えも高校生の頃からわたしのなかに常に一定のスペースを持っている

そして都合よくどちらかをオンオフにしてその場その場で自分を納得させてきたそれは2つの考え方が互いに矛盾すると思っていたからだが実はそれは同じものなのだと年を取るごとに思えてきたどちらもオンにすることが可能であるというのではなくむしろどちらもオンでなければ一方だけでは成り立たないことが解ってきたからだ

まず無意味=意味のないことではなくそれははるかに「積極的な」空白(空間)だということ絵を描くためには白いキャンバスが必要だと考えてもらえば解りやすいもう一つは「誰かにとっての無意味」は「他の誰かにとっての有意味」でもあるということ「誰にとっても意味あること」そんなものはあり得ない迷信かあるいはある種の洗脳の結果(たとえば「教育」という名の)に違いない(この意味では教育の功罪はもっと深く冷静に(国家単位などという小さなものではなく)常に吟味され続けるべきだと考えているがここはそれ以上を述べるのにふさわしい場ではない)

創作の場では「意味」は常に否定されるところから出発するひとつひとつの意味はすべて一度否定されるヘーゲルではないが名作は名作ではない美しいものは美しくないそこからしか創作は船出することができないのだ「そんなこたあ言われなくたって知ってらあ」と巻き舌の江戸弁で軽く返されそうだが確かにその程度のことなのに違いない。لیکن、もっと大事なのはその先でさらに積極的に「無意味」をどんどん創り出すことだそのことによって生きること誰かに意味づけられた人生をジャンプするにはそれしかない

کی طرف سے شائع

Takashi

تاکاشی کا ذاتی بلاگ。صرف پینٹنگز کے بارے میں نہیں۔、جس کے بارے میں میں ہر روز سوچتا ہوں۔、آپ کیا محسوس کرتے ہیں、جو ذہن میں آتا ہے لکھتا ہوں۔。یہ بلاگ تیسری نسل ہے۔。شروع سے، 20 سال سے زائد ہو چکے ہیں.。 2023یکم جنوری سے、فی الحال، میں نے طاق نمبر والے دنوں پر لکھنے کا فیصلہ کیا ہے۔。میں ایک ایک کرکے اپنی مستقبل کی سمت اور دوسری چیزوں کے بارے میں سوچنے جا رہا ہوں۔。

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