ニュースやネット、本などからの情報を眺めていると、世界が身近で、よく知っているもののような錯覚を覚える。でも実際は、事実のようではあるが不確か、他人と共有できることによって事実性を何となく納得しているだけのような気もする。
私たちが得る情報の多くは身体感覚を通したものではない。今はソファーの上で登山ができる。しかも地球の反対側に住んでいる人とチームになって登り、同じ時刻に頂上でハグしたりする。バーチャル・リアリティの話だが、すでにこちらの方が自分にとってリアルだという人もいる。
ほとんどの情報や知識は身体感覚など通さない。宇宙の知識、情報などその典型だ。豹やマグロが土星の輪を想像することなど恐らくあり得ない。他の動物に想像力がまったくないかどうかは知らないが、人間が最も身体感覚から遠い知識、情報を持っているのは間違いないだろう。
જોકે、身体感覚を通した情報、知識は(それが間違ったものだとしても)特別なものとして私たちの記憶に残る。特別とは、その記憶が脳だけにとどまらないという意味だ。最近の科学では身体中のあらゆる細胞ばかりか、身体に潜む細菌、バクテリアとの間でさえ情報交換をしていることが解ってきた。
知識や情報の量を脳だけに頼るとき、私たちの想像力、感覚にも墓標が立てられることになりそうだ。