
暖かい室内から、冷たい外を眺める。

暖かい室内から、冷たい外を眺める。

ここ、いつもの散歩コースの途中。あまりに黄葉(大きな銀杏が隣に数本ある)がきれいだったので写真を撮った。別の日、別の場所で、子どもが銀杏の落ち葉を手で掬い上げ、空中に放り投げてはそれを頭から浴びていた。そんな情景を画面上でミックス。
絵の描き方としては、けっしてお勧めしない。પરંતુ、この情景なら、この描き方が一番「お手軽」で身近だと思ったんだ。
大人になって、絵を描くのにいろいろ考えたり、勉強したり、何年も修行まがいのことをひたすら頑張ったりしたけど、本当はそういうのずっと面倒くさかったんだよね。「お絵かき」なんて “お手軽” でいいんじゃない?
પરંતુ、ホントに言いたいことはそこじゃない。そこじゃないけど、それを説明するのはもっとめんどくさいから、いっそどうでもいいんだ。ただ秋の日を浴びたら気持いいな、っていうだけのことさ。子どもがそうしているように。

寒くなってきましたね。北海道や東北に比べれば暖かいといえる関東でも、昨日は東京・八王子でも小雪が舞ったらしいじゃないですか?わたしの住む関東平野部でも、「雪になるかも」だったが、最終的にそこまでは冷え込まず、「冷たい雨」にとどまったところが多かったらしい。
ગઈકાલે、灯油(18ℓ)を2本買った。空気汚染に関して、灯油などの “化石燃料” を敵視し、オール電化にすべきだと主張す人々がいるのは知っているし、その主張の意味も理解できる。જોકે、2011年の「東日本大震災」で「灯油」ストーブがどれほど貴重な暖房、炊事、コミュニティで役立ったかを、わたしはどうしても忘れることができない。
震災直後、物置の奥から引っ張り出して来た石油ストーブは、 “停電で役に立たなくなった” 暖房専用のファンヒーターやエアコンと違い、暖房だけでなく煮炊きも同時にできる “救世主” になった。洗濯物を乾かすことも、必要な乾燥物をつくることもできた。お湯を沸かせることの恩恵を書いたら、この記事がそれだけで埋まってしまうほどだ。
乾燥した空気による呼吸器系の感染を未然に抑えるなど、中規模病院での医療にも「石油ストーブ」は活躍したと聞く。同じその火が、そこに顔を合わせる災害時の家族の、心の安心感も支えてくれたに違いない。何と大きな恩恵だっただろうか。
હોવા છતાં પણ、火と熱と明かりが同時に得られる、確かに有難い「石油ストーブ」だが、それに感謝するより、石油という化石燃料の元、つまり化石になった植物たち(時には動物も)の想像を絶する「生と死の量」。それを可能にした地球と太陽に、本来は感謝すべきなのかもしれない。
ポインセチアを描くとき、કોઈ,花を描くときは、どんな花でもいつも室内の「乾燥」が気になる。વધુ、気にしない方がおかしい。તે કહેવું、ケア最優先じゃ絵が描けない。一枚の絵を見るとき、そんな “裏方仕事” の方がふっと脳裏に浮かぶことがある。