
2023 આજે સમાપ્ત થઈ ગયું છે。2024 કાલે શરૂ થાય છે તેમ છતાં、わたしのアイデンティティの何かが急に変わるわけでもない。તેમ છતાં、2024年の12日31日には「一年前とは○○が変わったなあ」と思えるようになりたい、と新年への抱負を、હવે、語っているところです。
今年一年を振り返ってみると、તે કંઈક હતું જે મેં ઘણી "ગેરસમજો" અને "લાગણીઓ" જોયું.。"ઓછી માહિતી એકત્રિત કરવાની ક્ષમતા"、હવે મારો મતલબ છે、માત્ર તે અનુભૂતિ、તો તમે તમારી ક્ષમતા કેવી રીતે સુધારી શકો?、મને તે કેવી રીતે કરવું તે ખબર નથી。સારું પછી、શું મારી ગેરસમજ આવતા વર્ષે ચાલુ રહેશે? હમણું、そうなるかもしれん。知らんけど。
現代はどこにでも知りたい情報が転がっていて、検索の仕方さえ正しければ、誰でもそれをゲットできる、とよく聞く。わたしは、そもそもそのことを信じることができない古い人間である。ある部分では、経験と直感しか信じないところがある。
ならば、どんどん何でもやってみて、経験智を増せばいいはずだが、行動に関してはとても引っ込み思案である。田舎っぺのマイナス面がこんなところに顔を出す。―要するに何もしない―そして、それまでの乏しい知識・経験だけから自分勝手な結論を導き出して、それに乗って行動する。わたしの勘違い行動様式はそうやって出来ている。それを思い知ったのが、今年一年というわけです。
わたしは基本的に無知だ。他の多くの人と同じ程度に。そのうえ怠け者だ。他の多くの人とほぼ同じくらいに。それなのに安易な希望と楽観を持っている。他の人よりちょっと多めに。―それが勘違いというもの。「他の人」とはどういう人か、それを知らないんだなあ、知らんけど。