
今日は雨の中を、北浦和の近代美術館で開催中の埼玉県展を見に行ってきた。久しぶりの顔を何人か見られたのが、絵を見るより嬉しかった。絵を描く人に会うと、皆仲間のような気持ちになる。今日お会いした皆さん、元気でまたどこかでお会いしましょう。
最近中央で活躍中の作家が県展に出品する例が目立つようになってきた。それ自体は歓迎する事柄だが、ごく普通の一般出品者から「レベルが高くなりすぎると私達の勉強の場が無くなる」との声も聞く。どちらがいいのか、あるいはどの方向を向くべきなのか、県展もそろそろ考える時期なのかも知れないな。
帰宅すると菅総理大臣の不信任案否決のニュースで持ち切り。それも大差で否決とは、あの騒ぎは何だったのかよく判らない。直前の鳩山氏との会談も内容も、その後の食い違い騒ぎも何なのかよく判らない。εν συντομία、どんな理由をつけようと、政治家にとって震災も原発事故も単なる政争の具に過ぎないってことだけはよく判った。
去年の今頃、散歩中に巨大なクロアゲハを見て、思わず写真に撮ったのが上の写真。さすがに両の掌を開いたほどとは言えないが、向こうから大きなハンカチが風に舞って来たのかと一瞬思ったくらいのサイズではあった。何故かちょっと感動。大きいからなのか、よくは判らないが、これも一種の自然の恵みだと感じたのかな。
本当は自分のことが一番よく判らない、とつくづく思う。最近特に。人のことがよく判らないなんて、だから当然と言えば当然なのかも。判っていると思っていることが、本当は全然判っていないと気づくのは恐ろしい。だからわかったと思いたくなってしまう。わかることはいいことだと、単純に思いこんでいること自体、わかっていない証拠なのかもしれないな。 2011/6/2