التفاح الأزرق

" تفاحة – Blue 」 2020

昨日から「青いカモメの会・絵画展」が始まった(20日16:00まで)その搬入のため作品を車に積むとき初めて気がついた「あれっ仕上がってない」

思い出してみると(出品作は「頭の中ではすでに仕上がっていただけ」で)目の前の別の作品が今にも奈落に落ちていきそうでそれをなんとか救い出そうと数日「 ICU」 状態で一生懸命になっていたのだった

「奈落の底に落ちそう」だった絵がこれいろいろ手を尽くしたがすでに落ちてしまっているかもしれないなんだか地獄のような風景にも見えるし「Blue」とつけ足したのは気分がとてもブルーだったから手当ての甲斐なく絶命した患者を見下ろしているDr.になった気分だ

がっかりしながら眺めているとなんだか情けない「自画像」にも見えてきた。1950年代の旧式ロボットの図体にイカれたゼンマイ仕掛けの「脳」を載せた自画像だ「何を描こうとすべて自画像」と常々心しているがその意味ではこれはまさしく私の絵以外ではありえないと思えてくるあまり楽しくない生き方もその表現もチグハグ。لكن、とりあえずもう一枚描いてみたほうがいいんじゃない?と絵自体がそう言っているように見える「いかに裸になれるかが本物かどうかの分かれ目だ」と誰かの言葉だったか私自身の想いだったかもう思い出せないがこんな絵を描く以上は私も(もうしばらくは)ゲージツ家なのかも…だ

النورس الأزرق...معرض

"النورس الأزرق" 2020

على وجه الدقة، "جمعية النورس الأزرق / معرض الرسم"。يبدأ بعد غد 15 سبتمبر (الثلاثاء)。حتى في اجتماع تحت عنوان النورس、لا توجد حتى صورة لطائر النورس.。هذا معرض لفئة الرسم المسماة "جمعية النورس الأزرق"。ما هو اسم الفصل الدراسي؟、سميت على اسم مدونتنا。

هذا العام هو المرة السابعة。قد تكون كلمة غير مناسبة، ولكن、مجرد إلقاء نظرة على العمر、المعارض الفنية لكبار السن (باستثناء المسابقات المدرسية)、المعارض في جميع أنحاء اليابان、وبهذا المعنى أصبحوا متشابهين)。ما "أصبح" هو、أكثر من الوقت لا يمكن إيقافه、بمعنى أنه لا يمكن مساعدته。لكن、شيئًا فشيئًا كل عام、أنا سعيد لأن المستوى آخذ في الارتفاع。

انها ميسو قليلا、وهذا دليل على أن كل عضو يواجه اللوحة بصدق.、بل هو أيضا نتيجة لتحدي كل قضية.、أعتقد。بالطبع、أنا لست محترفا、هناك أيضا مشاكل جسدية、سؤال العالم عن عملك、ليس الأمر وكأنك تتنفس بشدة.。لكن、مجرد رسم、لا تسخر منها وتظن أنها مجرد مسرحية لمنع التشويش.。في الأعمال الأخيرة、هذا لأنني بدأت أرى الأشياء التي تنطوي على اهتمامات أساسية.。

عالم اللوحات عميق。العالم الذي يمكن رسمه ببساطة باستخدام التقنية الاحترافية ليس سوى جزء منه.、طالما أنه ممتع، فلا بأس、مذهب المتعة؟ والعالم أيضًا جزء منه.。على أي حال、ما نقوم به、كبير、مجرد جزء من العالم العميق、على الرغم من أن أشياء كثيرة غير معروفة、والمثير للدهشة الحق المجاور、لا أستطيع رؤية القاع、رأيت المدخل مفتوحًا على مصراعيه مثل منحدر عميق.、الآن يبدو الأمر مثل الريح。أستطيع أن أفهم الصورة、وهذا لا يعني أن تفسيرات النقاد والكتاب يمكن فهمها بالكلمات.、في الواقع مثل ذلك、يعني لي أكثر أن أشعر بأنفاس الفنان على بشرتي.。و、صورهم、شيئًا فشيئًا، أصبحت قادرًا على الهمس بأشياء كهذه.、أكثر سعادة بالنسبة لي。

آه、سبتمبر

「Apple-3colors」(未完) 2020

「ああ五月」「ああ皐月」とかいう詩や歌をどこかで目にした覚えがあるがそれは五月(皐月)の時候の美しさやそれに重なる快活な情感への賛歌だと記憶している

「ああ九月」は「ああもう九月になってしまった(しかももう半ば近い)」(それなのに何にもしていない)という自責の「ああ」だ。آه。コロナのせい暑さのせい隣家の犬がうるさいせいだ

やらなくてはならないことを一寸先に伸ばすごとに心が1ミリずつ縮んでくるような気がする寿命のローソクが確実に短くなるというのにまた隣家の犬が吠えるいったいなんだってあの犬はあんなに吠えるのか隣家の人々は全員耳が遠いのだろうかそれとも耳栓をしながら私に向かって吠えさせてでもいるのだろうか。بجانب،、なんだって九月だというのにこうクソ暑いのか私の家に誰かが嫌がらせにこっそり熱風を送り込んででもいるのだろうか

私だけが「ナマケモノ」ではないはずだ、ربما。きっと同類はいるはずだ隣家の犬や猫やふくろうやミミズの声に悩まされてなーんにもできない人もいるはずだ。لكن、そういう人は私には見えない我が家では全員が死体のようにゴロゴロ床に転がっているというのに窓から見える人たちはこの暑さの中を普段と変わらない速さでさっさと歩き常に何らかのお仕事をしているように見えるしかも涼しげ。شئ ما、特別な飲み物でもありそれを私が知らないだけなのだろうか。آه、苦月十月は目の前心がぐんぐん縮む。لكن、私の身体はなぜか仕事に向かうことを拒否している