この夏の電力需給のひっ迫を先取りして、節電の強制、半強制、お願いのそれぞれに、それぞれの方法が検討されているようだ。NHK(を見るなんて恥ずかしい気がするが)を見たら、家庭での節電の方法がいろいろ紹介されていた。なんと「楽しく節電しよう」!家庭で、子どもと節電ごっこをする・・、節電ゲーム・・等々。学校でも「誰かが教室の電気を消してくれました・・」。見ていて鳥肌が立つほど怖くなった。この調子では、本当の夏場になれば、隣同士、町内での「あそこの家は節電に非協力的」「あそこは朝からクーラーをつけている」など、まるでかつての共産圏の密告社会のようになるのではないかと思ったのだ。
心配し過ぎ、今の日本でそこまでは無い、と言う人が多いだろうが、私は決してそうは思わない。節電の旗振り役をやる人が、必ずと言っていいほど節電警察の役もやるだろうと思っている。たとえば自発的に始める清掃奉仕。初めはいいが、そのうち参加者が増えてくると、参加しない人が「悪い奴」にされていく。参加しないだけなのに「ゴミを捨てる奴」「敵対する奴」とだんだんにエスカレートしてくる。PTAなどに出るとそんなことが当然であるかのように起きている。同じことが「節電」でも起きると考える方が自然ではないか。
村上春樹の「1Q84」が一昨年、ベストセラーになった。そのもとになった(というのは言い過ぎだが)ジョージ・オーウェルの「1984」を読んだ人は、「1Q84」の読者より少ないかも知れない(この際だから、読んでない人には一読をお勧めする)。描かれているのは、1984年が近未来である時点でのヨーロッパの仮想の国。そこは一種の管理、監視国家だが、よくみるとそれは現代の私達の生活をほんの少しいびつに照らし出しただけのように見える。その近さに私は身震いした。