
朝夕BBCのラジオを聴き、記事を読むことが目覚めと就寝時の日課になった。
そこでトランプ大統領の肉声をよく聴く。意外に親しみの持てる声だ。「声の魅力」が大統領当選に案外威力あったかも知れない。
松本清張の小説に声をテーマにした小説があった(題名はすぐに思い出せない)が、声の想像力(喋り方を含めて)をバカにはできない。世界の音楽シーンをチラと思い出せば十分。ルイ・アームストロングの「What a wonderful world」に、聴くたびに引きずり込まれるのは、あの声の力に違いない。
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退院からちょうど3ヶ月。普段の生活の中ではもう気にすることもない。頭がボーッとすることもなくなったが、物忘れは相変わらず。まだ「忘れた」という「記憶」があるだけマシだ。
森友学園が問題になっている。でも「安倍首相頑張れ」は論外としても、教育勅語にしてもそれは表面のことだ。なぜ、それがいま現れ、なぜ多額の寄付をする人々がいて、なぜ今まで問題になって来なかったのか。それが問題の切り口ではないか。
私たちも気づかぬうちに、(方向は違うが)森友学園のように、子どもをダシに使っては来なかっただろうか。町内の祭といえば「子ども神輿」とか、交通安全の「園児パレード」とか。子どもの可愛さ、元気さを大人の不元気さのサプリメント化したり、将来の人的インフラとだけ考えている部分も少なくないのではないだろうか。