スタイル

制作中

絵画の世界では「これが私のスタイルです」を確立するまでが苦労でいったんスタイル=画風を確立さえすれば「これが私だ!」で自分も世間もそれで認める認められることになるようだ作家は皆必死で自分のスタイルを探し求め模倣し作っては壊して独自のスタイルを作りあげその努力を世は賞賛するというストーリーになっているらしい

確かに一朝一夕でスタイルは確立しない画家のあらゆる試みあらゆる感性や長い間に培われた絵画思想といったものがそこには詰め込まれているだからスタイルを確立するということはその氷山の一角をついに水面上に出すということであってやはり賞賛に値するものだ

けれど一方で画家のスタイルは(比較していいのか迷うが)会社のロゴみたいなものだと考える人も少なくないロゴとはようするにブランドでありシンボルである大事なのはそれを生み出した人とその製品の内容であってロゴそのものに意味があるわけではない

ロゴやブランドが尊重されるのはビジネスの上でその品質が保証されてきたという実績があるからだブランドを汚すという言葉はその実績=品質保証を疑わせる製品を世に出すという意味だつまりブランドと中身は常に一致していなければならないということそれは同じレベルのものを作り続けるというだけでなく一方で常に進化・深化し続けることでもある社会環境の方が変化するからである

だから「これが私のスタイルです」と画家がいう時(そんなことを言うはずもないが)それは外側から見た「画風」の意味だけであるはずはない「私のスタイル」とは常に変化しかつ動じずということだろうそしてそれはたぶん一般の人が「スタイル」という言葉に持つイメージとは随分違った中身になるに違いない

発表するということ

斎藤 典久 個展より

川越・ギャラリー・ユニコンで斎藤典久さんの個展を見たとても良い個展だった作品が優れているかどうかは私には判らないが少なくとも作者と作品が一致するというかその人らしさが作品にしっかり流れていてそういうことが私にとっての価値観であるという意味で良い個展だと思った

それに引き換え私の東京・銀座で発表した作品は単なる思いつきの底の浅いいい加減な薄っぺらなものに見える。І、確かに思いつきで底が浅くいい加減で薄っぺらなのが私自身なのだそういう意味では私も言行一致だが悪い方の言行一致ではどうしようもない

私は最近発表することの意味を失いかけているおそらくこれからもたとえ手が動かなくなっても(それがパソコンになろうと)それが他人にどう思われようと私は絵は描き続ける筈だ絵を描く以上の楽しみなどこの世にあろうとは思われないから。але、何のために発表するのかという問いに対する答えはそれほど明確でなくなってきた他人に評価されたいなどとはもう考えてもいないそれより誰に見せるつもりでもなく無心に描いていた原点に戻りたい気持が強くなってきた

恥ずかしながら

水彩効果

大学時代の同級生からメールが来た展覧会を見に来るつもりだというなぜだか急にうろたえる「ヤバいもうちょっとまともな絵を出さなくっちゃ」。але、展覧会の一つは明後日からでもう出品しちゃったしもう一つだって来週月曜日から始まるいくらジタバタしてももう遅い

考えてみると学生時代から私は絵を描いていたのだがほとんど友人たちに見せることはなかった決して隠したり隠れて描いたりしていたわけではないが話題にならなかっただけなのだと思う卒業就職そして多くの同級生たちがそれなりに地位やあとに残せる資産などを作って退職するようになっていまだに就職もせず(できず)地位もなく資産にいたっては就職1年生にも及ばないというオロカモノはどうしているのか、40年以上もバカの一つ覚えに描き続けている絵というのがどの程度のものなのか気にかけてくれているのかも知れない、Я думаю。

たしかに就職もせず美大に行ったわけでもなくただ単に好きだというそれだけで、40年以上生きてこられたことは自分でも不思議な気もする多分役に立たないモノ好きも何人かは世の中にいても悪くはないと社会が受け入れてくれたからだろう特に努力もしなかったからなおさらそうだとしか思えないそれなら今さらジタバタしなくてもいいかもとすぐ自分に都合のいいように考えるこれが40年の成果ですと胸を張っては言えないが人の物を盗んで見せるわけではないから「これだよ」と聞こえないような小さな声で言おうと思う