そいつは誰だ?俺の中にいるのは

「ある男」習作

「ある男」は飛んだり跳んだり浮かんでみたり沈んでみたり時には指を組んでみたり自らか人によってかシェルターに入ったりするそして時々叫びタツマキを起こす死んでは新生を繰り返すこいつはいったい誰なのか

答えがあるとは限らないのに

「ある男」習作

暮だ年末だというのにほとんど家庭と自分の用事を済ませられないなんだか絵がもどかしくてそう簡単には一歩なんて進めないと思っていてももう少しでそいつの背中くらいは見えそうだと感じてやめることができない

課題は分かっているが解決法が見つからない頭を整理しその上でいろいろやってみる決して当てずっぽうではなくそれなりの目算もあるつもりで始めてみるがことごとくはね返される。ω αγαπητέ、数学の問題のように一つの式できれいに解けるというようなものではなく経験と分析が物を言う世界だし

Αλλά、そもそも答えがあるという前提などないあるとしても答え(のかたち)がひとつとも限らない青い薔薇を野に求めてもむだなようにあり得ない答えを求めれば単なる放浪以外にないそれを追い求めきれるのは天才かバカか天才である確率0.1%以下であることはほぼ間違いないすると今やっていることはドン・キホーテ

デザインしない

習作 24,Dec,’18

「コム・デ・ギャルソン」の創立者でデザイナーの川久保玲さんのごく最近の言葉「デザインしないことがデザインだと思った」

常に新しいものエキサイティングなファッション・デザインを追求してきた彼女の一つの到達点「そういう追求の仕方では(もう)新しいものは見つけられなかった心のなかに自然に湧き出てくるものそれを素直に出すことがデザインだと思った」僭越ながら私もこの言葉に深く共感する

「素肌に自然にフィットするかたちを作るそのかたちになるように鋏を入れるだけ」「でもその鋏を入れる場所は究極の位置」川久保さんの言葉のままではないがそういう意味ファッション・デザインの分野だけでなくすべての「創作」に共通する深い意味が込められている「賽は投げられた」あとは受ける側の感性の深さ柔らかさにかかっている受け取る側に感性がなければ彼女は空中ブランコからコンクリートの地面に身投げしたと同然である支えてくれる柔らかい感性はあるのかしかし彼女はそれを意に介さないそれしかないとすでに手を離してしまった。αυτό είναι、創作の世界だと言うように