موسم بہار کی علامات

"برتن کے ساتھ اب بھی زندگی" واٹر کلر + ایکریلک、کاغذ
hotokenoza

گزشتہ چند ہفتے、صبح کسی طرح、مجھے تقریباً 10 کلومیٹر تک موٹر سائیکل چلانے کی عادت پڑ گئی۔。میں بیدار ہونے کے بعد تقریباً ایک گھنٹے تک ریڈیو سنتا تھا۔、سست ہونا معمول تھا۔、یہ میرے لیے عجیب بات ہے کہ اب میں سردی کے وقت بھی بستر سے فوراً باہر نکل سکتا ہوں۔。

کھیت والی سڑک کے کنارے جو میرا معمول کے مطابق چلنے کا راستہ ہے۔、میں نے دیکھا کہ بہت سارے ہوٹوکینوزا کھل رہے تھے۔。Hotokenoza موسم بہار کی سات انواع میں سے ایک ہے۔、اگر یہ پہلے ہی کھل چکا ہوتا تو یہ کوئی عجیب بات نہیں ہوتی۔、میری آنکھ نہیں لگی。اس کے بارے میں سوچیں، سیٹسوبون کچھ دنوں میں ہو جائے گا.。وہ دن جو موسم سرما اور بہار کو الگ کرتا ہے۔。اگلے دن "بہار کا پہلا دن" ہے。بہار آ رہی ہے۔。حالانکہ اسے واک کہتے ہیں۔、میں سائیکل چلاتا ہوں، اس لیے میں جلدی سے گزر جاتا ہوں۔。اگلی بار، دیوہیکل ڈاگ فش اپنے خوبصورت نیلے جامنی رنگ کے ساتھ آپ کا استقبال کرے گی۔。

میں نے اس تصویر کو کئی سال پہلے پانی کے رنگ میں پینٹ کیا تھا اور اسے نظر انداز کر دیا تھا۔。برتن کے ارد گرد چیزیں、مجھے اب یاد نہیں کہ یہ کیا تھا۔。لیکن、کیونکہ اس کی ایک دلچسپ شکل ہے۔、میں نے اسے ایک معمہ کے طور پر چھوڑنے کا فیصلہ کیا۔。جہاں تک ممکن ہو آبی رنگ کے رنگ کو محفوظ رکھیں、میں نے ایکریلک پینٹ کی تہہ لگائی。

立冬

          「ミルクカップと小さな玉ねぎ」 ペン

立冬暦の上では今日から「冬」だけど先月末頃から何度か急に寒くなる日を繰り返したので気分の上ではすでに冬セーターも着ているし。11月にセーターを着るなんて数年前なら考えられなかったが筋肉が無くなってきたぶん熱源も失われたということもう少し筋トレをして筋肉つけなくちゃ

一日のスタートは夏も冬も温めた一杯のミルクから始まる飲みながらのスケッチで手をほぐす冬の朝日を描きたいが早起きは苦手雪があれば夜明け前でも起きていけるんだけどな雪が恋しいまま冬に入る

数学

      「椿の実」  ペン

椿の実(と種)はいつ見ても宇宙をというより「真理」というものが本当にあるかもしれないとわたしを虚心にさせる

椿の実をバラしてみたことがあるだろうか庭に椿を植えている人でももしかしたらそういう経験がないかも知れない知らぬ間に実が弾け種が地面に落ちてしまっていることが普通だから
 でもたまたま弾ける前の実を採っていたらそれを見ることができる(視覚的には)極めて単純なかたちの種がそこに在るのだがそれらがどう繋がっていたのかくっつけてみようとするとかなり難易度の高いパズルになるたったこれだけの個数なのにどれも微妙な凸面凹面を持っていてそれが立体である分パズル好きにも十分楽しめる

椿は花ももちろん美しいが弾けた実殻と種の不思議な魅力にもわたしは深く魅入られる。اور、そこに美しい「数学」を感じる特にその種にはそれらが互いに似かよっているくせに同じかたちは二つと無いということを強く意識させられるそれはたぶんカボチャやリンゴの種のように1個1個が独立せず種どうしがくっついていることに依るからだろうけれどそれにしても一個一個のどれもが鋭く無駄のない曲線曲面を持ち「生物学的」というよりは「数学的」と呼びたい美しさだ
 オウムガイの螺旋とフィボナッチ数列との一致がよく知られているそんな “数学的論理性” が椿の種にもきっとあるはずだと夢想する

「不思議」は「理解不能」とは違うそれは別次元のことだ不思議さというのは一見すぐに理解できそうでいて「考えれば考えるほどさらにその先に引かれていくような深さ」のこと(そして最後にはちゃんと理解できるはずと信じられること)椿の種には「不思議100%」が詰まっている
 数学は苦手だったが子どもの頃にこんな不思議さを教えてくれる先生がいたら今の1000倍くらい数学が好きになっていただろう、میرے خیال میں。