فيلم、انه صعب!

الكمثرى والبغونية

مشغول كل يوم。نصف هذا الانشغال هو "إنتاج الفيديو"。لكن،、أنا لست مشغولًا جدًا بصنع الكثير من مقاطع الفيديو.。ما هو الفيديو في المقام الأول؟、في نصف العام هذا、لقد صنعت حفنة فقط حتى الآن.、ليس لدي القدرة على فعل ذلك بهذه السهولة.。لقد قمت بالتأكيد بتجربة "توزيع الفيديو عبر الإنترنت"، ولكن、تمكنت من تحقيق ذلك في الوقت المناسب.、كان هذا هو الواقع。

مع ذلك、قم بإنشاء مقاطع فيديو بأي طريقة تريدها、حاول البث、أدركت غريزيًا أن هذا هو ما أحتاجه (على الرغم من أن الأمر استغرق مني ثلاثة أشهر للبدء).。لا يمكنك البدء إلا إذا كان لديك المعدات والبرامج والحافز.、ما يقرب من 50٪ كانوا قلقين بشأن ما إذا كان بإمكانهم فعل ذلك بالفعل.、معدات、كنت مترددًا في شراء البرامج.。

في النهاية、هذا هو الشيء الوحيد الذي يمكنني القيام به、إما الآن أو أبداً。تتداخل الظروف الأخرى、بمجرد أن أصبحت أخيرًا "كمبيوتر محلي الصنع" (كما كتبت بالفعل)。في الوقت الراهن、تستخدم الكاميرا الهاتف الذكي。ترايبود、على الرغم من أن الإضاءة رخيصة、على أية حال، حصلت على الحد الأدنى من المعدات.。قرر أنك متحمس في الوقت الحالي.、أبحر إلى بحر الفيديو。

الفيديو أعلاه "الكمثرى والبغونية"、في الواقع، أنا لا أستخدم الكاميرا.。لقد صادف أن كان معي ماسح ضوئي.、مع برنامج الفيديو المتعاقد عليه حديثا。4يتم مسحها ضوئيًا تلقائيًا بمعدل صورة واحدة في الثانية、110ما عليك سوى توصيل بعض الصور ببرنامج الفيديو。هذا كل ما في الأمر、"صعب التعديل"!

بالمناسبة、هذه الكمثرى、لقد كتبت La France في الرسم.、تم الكشف اليوم (27/10) أنها كمثرى "طبيعية" في هوكايدو.。علاوة على ذلك، فهي ليست كمثرى "غربية".、ويقال أنه صديق الكمثرى "الصين".。لها طعم "أصلي".。قد تكون الكمثرى أيضًا أحد منتجات طريق الحرير.。أتساءل عما إذا كانت رحلتي ستنتهي بطريقة ما؟。

変わるもの変わらないもの

英戦艦「ラミリーズ」模写 1970
「対馬山猫」 模写 1967

パソコンを新しく買い替えたことはもう何度も書いた替え方が荒っぽかったので周辺機器の環境もそれにともなって変えざるを得ず一つ機器が入れ替わるたびにモノの移動と片付けをするはめになった

古いスケッチブックを捨てるつもりで開いてみると上のような絵が他にも何枚か挟んであった上の戦艦は高校2年生(17歳)の時下の山猫は中学2年生(14歳)の時の模写だたぶん丸ペンと油性インクか墨汁「山猫」では手前の木の表現に割り箸を削ってタッチを変えて描いた記憶がある

手前みそだがなかなかよく描いていると思う特に下の中学生の時の模写は「山猫の兄弟」という本にあった挿し絵を真似て描いたものだがハッチングの線が実に描きなれていてよどみない余裕を持って描いているのがわかるもしかすると今より上手いかもしれない文房具屋さんもない田舎で好んで絵を描くような人が誰も周囲にいない環境で油性インクや丸ペンをどうやって知り手に入れたかもいまでは謎それが若さだなあと思う

戦艦のグレーの部分は今では描けないほど細く鋭いクロスハッチングになっている。17歳といえば私のペン画による「初個展」の年サルトルの実存哲学に触れ「世界の中の自分」というものを初めて意識した年だったちっとも勉強はしなかったくせにカミュなどを愛読しいささか反抗的な気分をみなぎらせていた(笑)これらの模写を見ると最近は何でも年のせいにして「逃げている」のではないかと突きつけられたような気になる悪いものを見つけてしまった

新しさを楽しめていない

エスキースのようなもの

新しいパソコンが届いたのが7日組み立てたのが9日前のパソコンがアップル(今も並行して使用中)で今度のパソコンが6年ぶりのWindowsなのでソフトのインストールなどセットにけっこう手間どった

使い始めたのは11日から今日で一週間になるパソコン音痴の私にとって正直Windowsは苦手だアップル社のMacのほうがずっとやりやすい。لكن、愛用のMacが壊れ始めたもう7年目だからそれもやむを得ない買い替えるにあたって動画編集ができるような性能をMacで求めると残念ながら予算が足りないしかもこれまでのようなノートパソコンにすると性能と価格との間にさらに大きなジレンマがある

それでしかたなくWindows(ウインドウズファンには悪いが)しかも再びデスクトップ。لكن、いわゆるコスパを考えるとそれなりに納得できる息子に言わせると「Macは選択せずに済む」から楽なのだそうだ確かにそう思う

「A,B,Cのうちどれにしますか?」という選択肢を的確に選ぶにはそれぞれの機能もそれらの違いも知らなくてはならないそれが苦痛ということは知識がないということだし知識がないということは(少なくともパソコンについての)勉強はしていないということになるWindowsに戻るということは「7年間ですこしは勉強したんかい」と問われているようなものでもある毎日がアチーブメント・テストと新しい知識のつめこみ新しいことなのに子どものように素直には楽しめていないなあと感じる日々