Vacinación - 2ª vez

turbante de natación

hoxe、Irei pola tarde pola miña segunda vacinación.。

Hai uns días、Parece que a nosa cidade tamén foi designada como "zona de alerta" para a infección por coronavirus.。Hoxe seguen pedindo á radio de prevención de desastres que use máscaras incluso na casa.、Iso é imposible con esta calor。Xusto o outro día, estivemos instando á xente a "quitar a máscara cando non estea en lugares concurridos para evitar un golpe de calor".、celebrar os xogos olímpicos、Na televisión informouse de que as persoas implicadas estaban animando con forza.。

Ademais,、Cando se lle preguntou se a situación actual pódese chamar "segura e segura", o primeiro ministro Suga dixo:、``A vacinación das persoas maiores avanza.、(Seguridade e seguridade) foi implementada'', dixo en rolda de prensa.、Agora toca usar máscara incluso na casa、Non hai xeito de que ninguén teña oídos para escoitar。De feito, teño a impresión de que o número de persoas que non usan máscaras aumentou significativamente.。

pasado mañá、8A prefectura de Saitama tamén estará en estado de emerxencia a partir do 2 de abril.、7Pregúntome se alguén pode entender o que significan os tres días desde o 30 do mes ata ese día?。Fai unha viaxe mentres tanto.、Non é de estrañar que algunhas persoas o tomen como tal.。

梅雨明け

夏の夜‐ベランダ (CG)

関東・甲信地方の梅雨が明けたと気象庁が発表したのは一昨日の金曜日とたんに関東各地で猛暑日や真夏日が観測され始めた暑いのは苦手であるが暑さで体調が悪くなることはめったにないビショビショに水をかぶったように流れる大量の汗が自分でも気持ち悪いだけ最近はクーラーにもすっかり慣れてきたが以前は2時間もクーラーの中にいるとむしろそちらの方が体調をこわした今でも寝るときにクーラーをつけたままにすることはない

夏の夜クーラーをつけて青森に向かって高速道路を走っていると盛岡あたりから急に冷気が水蒸気状になって車内に流れ込んでくるクーラーの設定温度より外の気温が低くなるからだ車を駐車場に入れてドアを開けると都会から詰め込まれ人工的に冷やされていた車内のそれとは異質の空気が流れている。ah、本当の空気だと一瞬思う毎日の暮らしの中で日々無意識に排気ガスを吸っていることにさえもう慣れっこという不自然さ「せめて月に一度はこんな空気を吸いに出かけなくちゃ」と思うが自分がいい空気を吸いに行くということはそのたびに自分自身が排気ガスをまき散らしながら行くという理不尽でもあるたいていは月一回という決心を果たせない

昨日の土曜日でいくつかの区切りがついたそれまでかなり時間も集中力もつぎ込んでいたのでホッとしたというわけでもないが今日の日中は何となくボーっとしていたそろそろ夕方になろうかという頃になってやっと気持ちが次のことに向かい始めたこんなだらっとした時間の過ごし方をしているようではだめだと思うけれどしゃあない。Por iso、私自身の梅雨も明けた明日から(今からと思わないところがユルい)、dende mañá。

ワクチン接種してきたが

木立ベゴニアが今年も満開

菅首相は首相就任にあたっていみじくも「自助」を第一に挙げたその真意は「自己管理」ではなく「自己責任」であった要するに「てめえのことはてめえでやれや」という江戸時代以前の農村的な社会保障のない時代を前提にした一種の根性主義だろうと誰もがうっすらとけれど敏感に感じ取ったその後のオリンピックの有観客に固執する彼の姿を見て誰もがその解釈で間違いではなかったと確信したはずだった。Porén、ワクチン接種で情勢は彼の思惑通りにコロナ、non era un、コロリと変わった「無料で接種できて有難い」無料の意味も解らなくなった高齢者の列にわたしも加わっていることを感じた一日

昨日(7月10日)コロナワクチン(1回目)を接種した接種から1日以上経った現在では「少し腕が重いかな」程度。2回目の接種予定は7月31日。7月中に接種完了を標榜していた国の計画から計算すれば高齢者の中では一番最後の日程のはずだ

接種を待つ間ちらちら眺めていると少なくとも高齢者のあいだではコロナへの恐怖感はすでに相当薄くなっていると感じるついこの間まで「怖い怖い」だけだったのがワクチン一つでいとも容易く「安心安心」に変わっていく二回の接種を終えた人たちが浮かれるようにあちこち出かけるのを止めることはもうできないだろうこのままいけば秋の行楽は夏に倍した花盛りになるに違いない

つい先日までのコロナ対策でのすったもんだや医療体制の不備とか多くの指摘提言された事柄などはあっという間にその「安心安心」の中に埋もれていく。e、数年後またそっくり同じことを繰り返すだろう「反省」のポーズしかしない国自分や人間について深く考える習慣もなくそうした教育もしない国では災害も幸福もすべてが「運」(という名の人まかせ)である。pero、それがいまの日本なのか?わたしたちって本当にその程度の思考レベルなのだろうか「国民とは自分がたったいま溺死させられていることさえ解らない人のことだ」という言葉を思い出す