
分かったような気になっているのに、実はよく解っていないということがよくある。試せるようなものなら、試してみるとそのことを実感する。見えているのに見ていない、声は聞こえているけど聞いていない。文字は読んでいるけど理解はしていないってことですね。
それに老化が加わると一層厄介だ。眼が悪い、耳が遠いために「〇〇だろう」という憶測が入ってくるし、アップグレードされていない古い知識、これまでの人生で積み重なった勘違いや自分本位の記憶が、頑固さに変質しているのに自分では気づかない。本当は怖いことだが、毎日を知らぬが仏で過ごしている。
そのことを思い知らされるのが、事件・事故に巻き込まれたとき。あるいは何か大きな転機に立った時だろうが、それはもう恐怖でしかない。そこまでではないが、先日パソコンでトラブルがあった時のこと。
いくつかのファイルのバックアップができない、と表示が出た。onedrive 経由でクラウドに保存するようにというメッセージ。これまでもonedrive では何度も痛い目に遭っているから出来れば使いたくないが、microsoft としてはできるだけ使わせたい。渋々、簡単そうな文言に釣られて、きちんと理解しないまま勝手な解釈でやってみた。やっぱりとんでもないことになってしまった。編集中のビデオの音声データや、全然関係ないと考えていた写真や、ドキュメントなども含め、デスクトップも持っていかれてしまった。
結局自分ではどうにもできず、息子に Help ! データを失わないよう気をつけながら、小一時間かかって回復してくれた。自分一人では絶対に無理。少なくとも用語の意味とか、その辺のところからやり直さなくてはならなかった。分かったようなふりをした、痛いツケ。
ちゃんと分かるということは大変なこと。何度もやり直せ、逆からでもできる。そのくらいになって、はじめて「分った」と言えるのかも知れない。分ったと言えることなど、片手に足りない(5個もない)ことが、よく「分った」。