木も見て森も見る

3月7日22時30分アップロードしました

「木を見て森を見ず」という格言がある瑣末なところにばかり注意を払わず全体を見通す目を失わないようにしなさいというほどの意味だが意味は分かっても具体的にそれが木であるどころか葉なのか枝なのかはたまた一粒の花粉なのかさえ分からなくなるのがたとえばパソコンで作業をしているとき

パソコン上で一枚の写真を拡大修整し色を微妙に変えるその作業の中にもさらに細かな作業がある文字を入れるにもどんなフォント(文字のデザイン)を使うか文字と文字の間隔や行の空きをどうするか文字に境界線を入れるか入れないか文字の色をどうするかなどここにもさらに細かい作業がある瑣末?な作業がどんどん増えていく

 そのような枝から葉葉から葉脈と分かれていく流れのなかで翻って逆方向の木全体の方を向きさらにその木の向こう向こうへと続く森を見るというのはかなり難しい一方向でさえ自分の位置を見失いそうになるほど何層にも重なり横にもいろんなアプリが並列する構造しかもそれはまだ解りやすい「作業」の例に限っての話
「物事は上流から見よ」とも言われてきたまさに樹形図のように森から木木から枝葉へと見ていきなさいということだと解釈してきたが学校教育はほぼ葉っぱから森を見るそれとは間逆の方向だろうと思う

 いつどの時点で視点を逆転させる教育が行われるのだろうか今の日本で言えば大学の卒業研究または大学院レベルでやっとそういう見方を訓練するのではないだろうかそれ以外はすべて「個人の勉強」に委ねられてきたような気がするそれも受験勉強ではなく一つのものごとに対する深い興味と時間に縛られない自由な勉強といい仲間のいる環境があれば「木も見て森も見る」ために必要な環境はますます遠くに離れていくように感じる日々

اینیمون ونڈ فلاور

انیمون (پانی کا رنگ)

میں پھولوں کی تلاش میں نکلا کہ آیا کوئی بہار جیسا رنگ ہے۔、صرف ایک چیز جو باہر کھڑی تھی وہ تھی ٹیولپس۔。فریسیا میرا پسندیدہ پھول ہے، لیکن یہ صرف غریب ہے۔、gerberas کے لیے ابھی بھی جلدی ہے۔。ایسی حالت میں、アネモネとラナンキュラスが一場を飾っていた

アネモネもわたしの好きな花であるが葉っぱが少し面倒だコスモスも葉が描きにくいラナンキュラスなどは花も葉も見るにはいいが複雑すぎて描くのには躊躇する青系統の花が特に好きだが、ایک بڑی نیلی جامنی انیمون تھی۔、شکل تھوڑی بہت سادہ ہے۔。میں بھی خوبصورت خاکستری رنگ کی طرف متوجہ تھا۔、میں نے سوچا کہ شاید یہ مقصد ہے۔。سفید پھولوں کے بیچ میں گہرا نیلا جامنی。

انیمون کی etymology، ``ane،'' کا مطلب ''ہوا'' لگتا ہے۔。پھول جو بہار کی ہوا چلتے وقت کھلتے ہیں۔、میرا اندازہ ہے کہ اس کا مطلب ہے۔。ویسے، "ane" کنکشن سے آتا ہے "ہوا = سانس"、سانس لینا = زندگی = زندہ چیزیں、بظاہر یہ لفظ جانور کی اصل بھی ہے۔。کسی کتاب میں لکھا تھا کہ چیزیں جو حرکت کرتی ہیں = اینیمیشن بھی وہیں سے آتی ہے۔。
پروڈکشن کی ویڈیو بنانے کے لیے فلم بندی کی تیاریاں شروع کر دیں۔。کوئی وقف شدہ اسٹوڈیو نہیں ہے۔、مجھے پہلے صفائی شروع کرنی ہے۔。کیمرے اور、ابھی کے لیے، آپ کے پاس موجود تمام روشنی کا سامان ترتیب دیں۔、آئیے شوٹنگ شروع کریں - کیا!、پھول بند ہو رہے ہیں!

اب بھی、یہ ایک تازہ پھول ہونا چاہیے۔。شام ہو رہی ہے۔、میں ٹھیک سے سونے کی کوشش کر رہا ہوں۔。جیسا کہ "Ane" کی توقع ہے、ایک شخص کے طور پر جو ڈرا کرتا ہے، میں چاہتا ہوں کہ یہ کھلا رہے۔。لیکن、"زندگی" کا احترام、جب کھلا تو کھل گیا۔、اس بار میں نے سونے کا ایک منظر کھینچنے کا فیصلہ کیا۔。

マッチ・ポンプ(自作自演)

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「マッチポンプ」はかなり昔に死語化した語だと思っていたが近年「ステルス(見えない)マーケティング」(有名人に番組などで商品を使ってもらいそれとは知らせずに宣伝すること)という経済用語?の登場に引っ張られるかたちでときどき再出演する語になっているらしい

マッチポンプはふつう悪い意味にしか使われない自分がマッチで火事を起こしておいて真っ先に現場に駆け付けポンプで水をかけるそれで消火の栄誉を得ようとするという意味だから当然だ実際にそういう例は意外に多くそこから国際政治の喩えにも使われたようだ「プーチンの戦争」もそう見えている

最近のことを考えてみるとマッチポンプだらけと言っていいような状況に見える「火付け役」が「起業(家)」「陰謀」が「共有」「メディア」が「煽り役」と役どころの名前を変えるとそんな風に見えてくる。صرف、それが複数であり演者も自覚なしに演じてしまっていたりと“ステルス”化している。دوسری طرف、YouTube動画や tiktokインスタグラム等こちらは皆自作自演であるマッチポンプとは言われないが良い意味?でそれが普通になり始めている

لیکن、こちらの「自作自演」は基本文字通りのフリーランスでありメディアに乗れば歓迎される一方で現実の負担はかなり厳しいものがあるtokyo2020で金メダリストになったスケートボードの選手たちのそこへ至るまでの道のりの厳しさはすでにある程度知られているだろう。لیکن、彼らの前にその道へ一歩踏み出した人がいることを忘れてはならない道をたどり道を広げるのももちろん大変だが最初の一歩もそれに劣らない、میرے خیال میں。マッチの火をつけることがいかに大変かポンプまでいけばなかば成功したも同然だと思う