子どもは国のインフラではない

退院からちょうど3ヶ月普段の生活の中ではもう気にすることもない頭がボーッとすることもなくなったが物忘れは相変わらずまだ「忘れた」という「記憶」があるだけマシだ

森友学園が問題になっているでも「安倍首相頑張れ」は論外としても教育勅語にしてもそれは表面のことだなぜそれがいま現れなぜ多額の寄付をする人々がいてなぜ今まで問題になって来なかったのかそれが問題の切り口ではないか

私たちも気づかぬうちに(方向は違うが)森友学園のように子どもをダシに使っては来なかっただろうか町内の祭といえば「子ども神輿」とか交通安全の「園児パレード」とか子どもの可愛さ元気さを大人の不元気さのサプリメント化したり将来の人的インフラとだけ考えている部分も少なくないのではないだろうか