Блізкі падыход Юпітэра да Сатурна

Венера:23Dec 2020/6:15

Юпітэр і Сатурн апынуцца бліжэй за ўсіх упершыню за 397 гадоў。Мяркуючы па ўсім, таксама была верагоднасць, што месяц будзе ўключаны ў карціну.。Наступны блізкі падыход адбудзецца ў 2080 годзе.。Для многіх людзей гэта будзе апошні шанец у жыцці.、Давайце пакуль паглядзім。

Бліжэйшы падыход быў 21 снежня.、Усё яшчэ добра на працягу 1-2 дзён (але хутка знікне)。Я яшчэ не бачыў, значыць, пра сёння ўвечары.。ад вечара да ночы、Гэта паўднёва-заходняе неба。

Фотаздымка, на жаль, няма.、Венера крочыць (ранішняя зорка)。Магчыма, гэта было таму, што я задыхаўся、Гэта размыта。5Праз 6 хвілін:20знікае ў бляску перад узыходам сонца。Лес і зямля побач、Нават стары астранамічны тэлескоп, які купіў дзіця.、Думаю, калі б яго адрамантавалі, выглядала б нядрэнна.、не можа паспець。Аднак на працягу года бываюць розныя метэорныя дажджы.、Ёсць шмат нябесных з'яў。Унутры Кароны、Добра пашырыць свой розум да начнога неба。

「時代」に乗り遅れる

「Hurry up a little bit(少し急いで)」水彩 F4

先日のブログに載せた絵を描いたとき途中で何枚か写真を撮っておいたのでそれをつないでみたここ半年は「動画」とその編集で頭いっぱいなのでとにかく途中経過はなるべく撮っておく

ウォーキング中イヤホンからの「乗り遅れない」という語が耳に引っかかったある業者が「時代の波に乗り遅れないように○○をする」という普通なら聞き流すような流れだったと思うが「時代の波ってその波の中にいたら分かるものか」といういつもの反発心がことさらにその言葉を「保存」してしまったらしい

магчыма、私がいま動画(編集)で頭を悩ましていることも「時代の波」に乗るためなんだろうか?私自身の絵画史では「絵画の時代」はすでに終わっている何かの文章にそう書いた記憶もあるけれど今も自分は絵を描いている絵画の時代はすでに閉じたのに?それは「絵を描くことは私の宿命」だと感じているからだどんなに時代遅れになろうと宿命ならば仕方ないそう考えているからだーそれならなぜいま動画なのか

ひとつにはパソコンが手軽になり「動く絵=動画」が自分にも手の届きそうなところにある(?)からだ世は動画で溢れているTV会社など専門業者でなければ手の届かなかった映像の世界を若い人たちはスマホを使ってインスタグラムYouTubeなど日記を書くように気安く作っている油絵具じゃなくたって水彩絵の具じゃなくたって自分たちの新しい絵の具で絵を描くよそういわれているような気がするそれなら私も新しい道具で絵を描いてみたい。але、そう思うこと自体時代の波に乗り遅れまいという心理なのかいまは判断できない(現状ではまだ全然ダメだが)もう少し頑張れば私も「新しい絵の具」でまた新しい自分の絵を描けるのではないかとなんとか希望をつないでいる

早朝ウォーキング

氏子の人たちが境内で落ち葉を燃やしているところに遭遇(7時半ころ)

今朝(12/18)でウォーキング歴ちょうど1ヶ月とりあえずウォーキングは続いている特にここ数日は夜明け1時間前に飛び出していく最低気温が氷点下になってきたがもともと寒いほうが好きなのでその点は全く苦にならない雪でも降ったら喜び勇んで外に飛び出すタイプ(まるで犬だ)

У маім выпадку、健康維持だけが目的ならウォーキングは続かない。фактычны、これまでそうだった。Ну тады、なぜ今ウォーキング?と言われれば「寒くなってきたから」がたしかに本当の理由なのかもしれない

中学生の頃は雪の林の中を一人で歩くのが好きだった早朝ならなおさらピリピリした冷たい皮膚感覚と「一人でいること」が気持ちよかった「冬の早朝ウォーキング」はそうしたいわばちょっとだけ動物的な感覚を取り戻す機会になっているのかもしれない。У гэтым сэнсе、夏にはもうウォーキングはしていないかもしれない

Нават так,、早朝ウォーキングの人の多いことこれは私の「一人」感覚を阻害する。тым не менш、よく観察していると多くの人は私同様「一人だけで歩く」ほうを好むように見える夕方は歩かない自転車でウォーキングならぬウォッチングに時々行くが公園の周囲などまるで隊列を組んでいるかのように続々と人々が歩いているとてもその中で歩く勇気は湧いてこない人々の健康志向の強さがある意味すこし不気味だからかもしれない健康志向が強いということは逆に言えば常々将来の健康に不安を感じていることの裏返しなのだろうか健康を崩すということがどんな悲劇をもたらすか日々ニュースなどで肌身に感じるからなのかもしれないその点には私は鈍感らしい