モルドバの人

「モルドバの人」 紙、水彩、akrila

最近何度か投稿した「顔に緑」の習作の一枚として途中まで描いたが大晦日に洗い流してしまった。元旦、改めて描き直してみた仕上げるとかの意識はなくむしろ背景のマチエール(材質感)の方に重点がある

モルドバはウクライナと南西部で接しともに黒海に面している彼女の心情に思いをはせる

明けましておめでとうございます

「種(たね)のかたち」 SM、テンペラ、akrila、蜜蠟
「Apple村の風景」―こちらも反放置だった

明けましておめでとうございます。今年も元気で行きましょう

6年ほど前、100号を含め何点か「種」シリーズ?のようなものを連作したことがあるその中の一点がどうしても仕上げることが出来ずはんぶん放置状態になっていた暮れに(と言っても昨日のこと)来年は(と言っても今日のこと)テンペラを描くぞと言った手前昨日のうちにメディウムだけは作っておいた

8カ月もテンペラ制作をしなかったのでもう描き方を忘れている玉子を割り油とかき混ぜてメディウムを作っているうちにだんだん思い出してきた顔料を入れる箱の上にプリントだのいろいろ乗っかっているのを片付けながら何を描こうかと地塗済のキャンバスを探しているうちにこの “半放置状態” のものが転がってきたまさしく種を播いておいたようなもの

新作ではないがまずここから手を付けました下の絵も半放置状態でしたがついでに仕上げてしまいました

2024-大晦日

「顔の中の緑」  水彩 F6

いよいよ2024年も今日で終わり毎年のことながら今年もなんにもできなかったというより「やらなかったなー」という一年だった気がするスケッチや作品もたいして描かなかったせいぜい100枚ちょっとだろうかひと桁足りない大作がないのは今年初めて

若干話は逸れるが「顔の中に緑を入れる」というそれだけのことが少なくとも多くの人に嫌われるのはなぜなんだろうそれが今年胸に残った疑問のひとつどぎついメィキャップや加工されたアンバランスな顔などでさえ既に許容範囲になっている(とわたしは感じている)のに絵を描く人絵を見る人にはそういうことにこだわらない人が多いと思っていたのはわたしの勝手な思い込みだったのだろうか

来年は今年よりもっと楽しく描こうまだまだ苦しみながら描いているそれじゃダメだ。kaj、もうちょっと頑張ってやれることはやろう