今日は斑入りの椿を描きました。そのあとウォーキングへ。汗ばむほどの暑さでもなかったのに、汗が滲んだのは腰の痛みのせいだったのかも。
લેખક: ટકાશી
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今朝は温かい朝を迎えた。生温かいと言った方が実感。先日近くの公園へ行ってみたら、早咲きの桜はたくさん咲いていて、「本家」のソメイヨシノもうっすらとピンクを帯びていた。もう開花間近だ。
皿洗いなどすると「水温む」という、俳句の春の季語を実感する。「卒業(式)」も「入学(式)」も春の季語だ。同じく「新(入)社員」も春の季語。人生の節目になるかもしれない時期を迎えた人も多いだろう。こんなのんびりした気分で出て行ける世の中になって欲しいと願う。
ગ્રેટ ઇસ્ટ જાપાન ભૂકંપને 15 વર્ષ

2026.03.11 は東日本大震災から15年。数日前から多くのメディアで震災の映像が流されていた。わたしもYouTubeなどでたくさんの映像を、ついつい見ることになった。
災害は明日にでも、いや今すぐにでも起こりえるし、また世界の各地では実際にこの瞬間にも発生しているかもしれない。それでも現代では情報のデータの処理能力が当時とは比べ物にならないくらい早く、伝達も早い。今年から「線状降水帯」への警報が発生2~3時間前にできるよう精度をあげたと、気象庁が発表している。それで防げる被害も多くなると期待されている。
一方で人為的に起こる(引き起こされる)災害もある。戦争を災害というのは正しくないかも知れないが、多くの人がほぼ無抵抗に翻弄されるという意味ではよく似ている。かつて「公害」という言葉が広まった時代があった。公害自体は今でもたくさんあるはずだが、慣れてしまったのか、最近はあまり聞かない気がする。
東日本大震災での津波被害は視覚的に生々しいので記憶されやすいが、のどに刺さった魚の骨のように飲み込めないのが、原発事故で発生した「核燃料デブリ」だ。東京電力のホームページなどを見ると廃炉への行程などが整然と表示されているが、全く見通しが立たない、というのが現実らしい。希望的というか、理想を掲げた「行程表」なのだ。
防げる災害は防ぐのが人類の智慧だ。そうやって発展してきた歴史の、その最先端に常に戦争があるという逆説。人間とは賢いのか、バカなのか判らない生き物だ。