明るい高慢さ

「Apple-丘の眺め」テンペラ  2004年

Meddwl yn bositif (efallai blas)、Suddo'n ddwfn i lawer o bobl、Weithiau, gall dangos eich wyneb ar unrhyw adeg brifo rhywun。Rydw i wedi dod i mewn i fy hun yn llwyr、Os oes rhywbeth sy'n gwneud ichi deimlo'n isel eich ysbryd、yn anfwriadol、Rwy'n ceisio gorfodi fy hun i ddweud "Mae'n rhaid i mi godi calon"。

Bob amser yn siriol ac yn siriol、Wynebau i unrhyw beth、Nid wyf yn teimlo'n isel、Rhywun sy'n bywiogi o gwmpas。Hynny、Person fel yr haul oedd prif gymeriad cyn -deledu neu manga.、Wrth gwrs yn y cyfnod modern、Ni all rhywun mor wirion ddod yn brif gymeriad mwyach。

子どもは大きな夢を持たなくちゃダメだ若い人は高い理想を持って世界に羽ばたかなくちゃいけないショボショボしてちっぽけな自己満足などしているようじゃ(男の)クズだなんて堂々と人前で言う恐ろしい時代があったけれどそういう時代はもう過去のものになったんだろうかそんなの余計なお世話だよって言える時代になっているんだろうかそんなことはないだってわたし自身がそう思っていた時があったし今も心のどこかにそんな気持ちが残っているのが分かる

plentyndod、テレビを見るたびに「どうしてアメリカ(の白)人たちはあんなに明るいんだろう」と不思議だったわたしの周りには誰もそんな人は居なかったがテレビの中では大人も子供も皆活力に満ち自由そうでそしてやたらに誰にでもキスをしていたのだった(そういえば黒人たちのキスシーンは見た記憶がない)
 あの電灯のような明るさと民主主義はどこかで繋がっているそんな気がしていたがそうではなかったあのポジティブな明るさは高慢さそのものでもあったのだウクライナ戦争とイスラエル戦争のアメリカの立ち位置がそれを示している
 負けないように強くなればいいのよケチケチしてないで金持ちになればいいのよ金持ちになれないのは努力が足りないからよそう言って影と日なたを二分してきた人々の国あの明るさに憧れてきたんだなあと今さらに思うよ