
そろそろ晨春会(6月・春日部)展用の制作を始める。展覧会は6月でも図録用写真の締め切りが4月の初めなので、3月中には作品を完成しておかなくてはならない。これはエスキース(アイデアスケッチ)。今年はこんな感じで行こうかな。昨年秋の銀座での出品作にCGで加筆している。
パソコンというのは実に便利。こんなエスキースも、あと少し手を加えれば完成のイメージができてしまう。あとは実際の材料を使って「実現」するだけ。だけど、「手で考える」アイデアはパソコンとはちょっと違う、いや全然違う。そもそも歩いている道が違うのだ。
草むらの向こうを人が右から左へ歩いているのを横から見る。平行な道があれば、横から見る限り、そのどちらを歩いているのか区別がつかない。そんな感じ。歩く人の顔の向きは同じ右から左でも、道はだんだんずれていく。たどり着く先は違うのだ。手描きとCGはそんな風に違う、とわたしはいつも感じながら、(なぜか)CGに慣れようと努力している。それが自分にとっていいのか悪いのかは判らない。「直感」という名の賭けなのだろう。
ここ2,3年の絵はこのスタイル。わたしにしては珍しく(初めて?)固定されたイメージが続いている。これまで数十年、いろんなスタイルを、いろんな材料で制作してきた。今思うのは、どんな絵を描いてもそこに自分がいるならそれでいい、Se tarkoittaa。個性的であろうと、平凡であろうと、それはあくまで外から目線の“気ままな”「評価」。“平凡”といわれようと、自分自身にとっては「平凡」というレッテルなど気にしている暇はないのだ。