藤澤伸介展作家と道具の深~い関係

個展会場から
出品作品から2つの紙の切り方を見る
出品作品からかたちをなぞる「切り絵」ではなく切ることと描くことが融合する

包丁を持つと人格が変わるとかハンドルを持つ(運転する)と性格が変わるということは冗談半分の話として時々口の端に登ることもある。Aga、わたしたちは常に自分が主体(上位)であり自己の意志のもとにモノや手段(下位)を遣っていると教育されてしまったからせいぜい笑い話レベル程度以上には扱われない

けれど子どもの頃ハサミを持ったら何でもチョキチョキ切りたくなったりシャベルを持てばそこらじゅうを穴ぼこだらけにした経験は誰にでもあるのではないだろうか切りたくなったからハサミを持ち出したのではなくシャベルを持ったから(用もない)穴を掘りたくなったのではなかっただろうか

アーテイスト(こういう呼び方は好きではないが)の多くはそういった子ども時代のハサミやシャベルを一生涯手放さない人々のことでもある一見ただの道具でも年月を経てそれに習熟し腕を磨き上げればそれらはとんでもない武器に変身するというより本来の姿を現してくるそれが藤澤さんのカッターだ

あまりにも使いこんでいるためにごく自然に彼自身がカッターになりきっているこんなふうにカットしようと考えているのではなく気づけばもう切っていたそんな感覚そうでなければ無駄のない鋭い「かたち」など生まれ得ない極めて数学的な線でありながらどこかに子どものような脱線の遊びを含んだカッティング彼はもともと彫刻家だが木を削る時には鑿(のみ)そのものとなり時には粘土を付ける箆(へら)にもなる画家でもあり時どき筆になるCutter(切る人)でもあり詩人のときは可愛い一本の小枝にもなるフツーのようだが普通ではない(下北沢ギャラリーHANA)

※「切り絵」ではなく「切り紙」であることに留意してくださいね