
「自分磨き」という言葉がコロナ禍下でよく聞かれるようになった。テレワーク(会社と自宅のそれぞれのパソコンをオンラインで結んで仕事すること)などで通勤などの拘束時間が減り、自分のスキルアップのための時間ができたこと。大学生などでは遠隔授業(本来ならこれもテレワークなのだが、なぜかこちらは日本語だ)で、授業時間を自分の裁量で自由にできるようになり、こちらもダブルスクールなどで資格を取ったり、趣味に時間を割くなどできる環境になったことで、自分をブラッシュアップすることを意味する。
インターネット上で見たのは女子大学生の「シェイプアップ」。人気のユーチューバーなのだそうだが、これなど一石二鳥どころか三鳥、四鳥にもなっていそうだ。
Mutta、(すべてにおいてそうなのだが)視点がどこにあるかがいつも気になる。スキルアップも会社での仕事のためだったりする。会社の中での仕事をスムーズに回せば地位向上には役立つだろうから、確かに自分のためと言えないことはない。Mutta、もしその会社を辞めた時に他では役立たないものなら、そのスキルアップは結局は会社のためのものではないだろうか。自分100%に思えるシェイプアップも、美的な基準がどこにあり、なぜそうなりたいのかを考えないと、マニアックなダイエットや筋トレの虜になりかねない。
わたしはどうだろう。コロナ後?に使えるようにパソコンやiPad などにたくさんのアプリをいれ、かなりの時間を割いて使い方の練習をしている。Mutta、パソコンが使えなければ絵は描けないのだろうか。iPad などは確かに便利さを感じるが、逆にそれで失うものもあるのではないか。一見するとパソコンができないと困る社会になりつつあるように見えるが、それが「常識」と自分勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。「自分磨き」が「自分すり減らし」にならないよう、よくよく考えなくてはならない。