Tentei debuxar "Pocari Sweat"

Debuxei Pocari Sweat

Debuxei Pocari Sweat。Actualmente as 2 da mañá。Comecei a debuxar arredor das 22.00 horas.、Tardou ata aproximadamente a 1 da mañá、penso。Onte á noite deiteime boca arriba na cama durante máis dunha hora.、fixo un esbozo。Os meus ollos están cansándose hoxe、Estar sentado durante moito tempo reduce a circulación sanguínea nas pernas.、Frío dende o nocello para abaixo。

derradeira vez、Doces de antonte、O mesmo pasa con Pocari Sweat, etc.、Simplemente practica "debuxar" co obxecto real diante de ti.。Nesta ocasión tamén me preparo para pintar con acuarela.。As acuarelas dependen da orde na que se pintan.、Faise moi difícil (non podo debuxalo)、Porque se fai máis doado、Creo que é mellor facer algúns plans con antelación.。Ese punto、Non me importa a orde das pinturas ao óleo.。Síntome a gusto porque podo debuxar cada vez máis.。A pintura ao óleo é agradable。-pero、Aquí teño que traballar moito porque é acuarela.。

YouTube "Blue Seagull Painting Class" agora mostra vídeos do proceso de produción.。3Minutos e 40 segundos。Por favor, mira。

CG的なアナログ制作

「湖池屋ハッシュドポテト」を描く

onte(10/26)、「湖池屋ハッシュドポテト」をYouTube(制作プロセス)とこのブログ(画像)にアップしたそのCG制作の動画を家族に見せたら「なんか下手っぽい」「あのいい加減なデッサンからよくここまで描いたね(皮肉)」の2つのコメントだけ

ンじゃもちょっと描いてやろうじゃん (>_<) というわけで第2弾を描く。pero、描きながら(ちょっと冷静に)考えたこれは実際はほとんど手描きで、3時間近くかかっている水彩とか油絵とかと手順はほぼ同じ(「乾燥」にかかる時間は節約できるが)だから絵の描き方の(疑似)実践例ともいえる。pero、見た目にリアルに描けば描くほどイラストレーターなどのソフトを使ったような外見になる。nese caso、写真を取り込み自動でトレースしてイラストレーターなどを使えば半分以下の時間で余裕で出来るのではないか。ao final、(いろんな便利ソフトがあるのに)アナログでしか表現できませんっていうだけのことじゃないか、e。

これを見る人が自分でも描く人(しかも初心者)なら描き方のプロセスはもしかして多少は参考になるかも知れない。pero、たぶん10人以下だからいくらなんでも効率悪すぎるこんなことやっている時間があるならそれこそもっとストレートにもっ有用なソフトに習熟した方がいいのではないか

そんなことばかりぐるぐると考えることが最近多くなった実際の筆をCGのブラシに替えただけのアナログ制作(現状)と実際の絵を描く楽しみCG的なアナログ制作(現状)と完全なCGとの仕事効率的な差この3つを並べてみると今やっていることが一番馬鹿馬鹿しいんじゃないか深夜まで眼も身体も酷使して意味ないことをやってるなーと寂しくなる。Pero ok、昨日の今日だ。100個くらいまでは「何でも描いてみよう」

何でも描けばいいのかも

おつまみを描いてみた

「絵になるモノ」を探すとつい古典的な発想になってしまう自分だけモダンな構図構成の絵になったと自己満足できても一歩引いてみるとその感覚がどうしようもなく化石化している夢を何度も見る

お酒を飲んだついでにおつまみを描いてみた現代のものたとえばステンレスとか半透明のプラスチックとか「絵にならなそう」なものも描いてみればそれなりの面白さも無くはないし技術的な練習になら十分意味もあるあるものを絵画と呼びあるものをスケッチと呼びあるものをイラストとどこかで区別してそれぞれに別の考え方をする癖がすっかり自分についてしまっている

「どうやったら絵になるか」に頭を悩まし教室でも同様にそんなこと気にしない人々まで全員を悩ましてきた「自分らしい絵を描きましょう」とか言ってそのための背景とか構図とかの考え方など教えたりしてきたが本当はそのことでかえって伝統的な考え方にはめ込んでいたのかもしれない

眼に入ったもの絵になってもならなくても手当たり次第に勝手に描く必要があれば今はなんでも調べられるなんでもどんどん描けばいい悩む必要も悩ませる必要もなかったのかも今頃になって笑うしかないけど