冷蔵庫大作戦–1

冷蔵庫に何が入っているか見えるようになったぞ

新しい冷蔵庫を買った。10月からの消費増税に合わせたわけではないそんな余裕など全くなくできれば買わずに済ませたいところだが壊れてしまったのでやむを得なかった

半年ほど前(もっと前かも)「冷蔵庫から水が漏る」と言う拭いてもしばらくするとまた出てくるという溜まるほどでもないがじわじわと濡れてくる排水経路?が(ホコリで)詰まっているのだろうか我が家の誇り高き冷蔵庫は現実のホコリうず高いそれでもあるから。men、洗濯機ならともかく「排水路?」

結局そのまま時々床を拭く程度でごまかすことに(結果として)なった。1ヶ月くらい前になると「冷えなくなってきた」という冷却装置など根幹に関わる部分は「メイド・イン・ジャパン」ならそう簡単に壊れるはずはないゴム・パッキンが劣化しそこから冷気が漏れ出している交換は可能かもしれないと製造時期を見ると2000年製製造翌年の型落ち品を安く買ったろうから18年使ったことになる保証期間はともかくぴったりのゴム・パッキンが手に入るかも微妙(最近のものは自分でも簡単に交換できるようになっているらしい)電気代もだいぶかかっているし容量も不足気味だから少し大型の冷蔵庫に買い換えようかということになった

我が家には「予算」というものがない我が家の大蔵大臣(財務大臣といっても同じだが)には決算しか頭にないいつもその時になって突然「お金がないんだけど」というだけ普通は大型の出費に対しては数年前から積み立てておくものらしいが我が家では全員が突然「お金がないんだけど」。og、だからどうするというアイデアは誰からも出ない冷蔵庫の場合も同じだった

病気と違い放っておけば自然に治るということはない。men、もしかするとこのうず高いホコリで隙間が埋まるのではないか床の水もこのホコリが吸ってちょうどよくなるんじゃないか…とでもいうようにやはり放っておいたそして当然のように尻に火がついた

渋谷

ミュシャ展会場入り口

久しぶり(本当に久しぶり)に渋谷に行ったBunnkamuraへ話題の「ミュシャ展」を観にその前に川越のギャラリー・ユニコンで「佐々亮暎展」を観たのでついでにと東武東上線地下鉄有楽町線メトロ副都心線と乗り継いで渋谷へ普段は利用しない路線なのでナビがないと迷ってしまいそうなほとんど聞いたこともない駅ばかり

地下鉄から渋谷の「地上」へはどこの国のどの駅かと思うほどに(私には)目新しかった日本人かなと思えば中国語か韓国語(日韓関係の悪化からか韓国語は激減した感じがする)中東系アフリカ系ヨーロッパ系の人たちが(住んでる風に)普通にいる大河のようなものすごい人の流れと人口光の乱反射ハチ公前に出る地上に出ればまあそれほど異国感はなかったが

ミュシャ展は多分どこかのTVで宣伝しているのだろうとても混んでいた若い人が多かったように思う混み具合も内容も予想通り何度も観たことのある絵柄だしデッサンのうまさもわかっているし亜流に興味はないし漫画へのこじつけも予想通り初めて観る人にはこの混み具合は少しかわいそう油彩によるエスキース(アイデア・スケッチ)4点だけ近づいて観た

急いで渋谷駅に戻り「地上3階の地下鉄」銀座線へと登るここへの狭い階段は少なくとももう50年近く古いまま地下通路との時代ギャップがすごいこの共存感が半端じゃないのが大都会なのかな表参道で千代田線に乃木坂国立新美術館は黄昏時で空いていた新制作展行動展両会場内をぐるぐる巡る良い作品もあるがつまらないものもどっさりそんなものだろうが観ることがすべての始まりだ

ひさしぶりに歩き回ったので駅での下り階段では左膝の腱が注意信号無理すれば本当の膝を痛める限界だ帰宅したら訃報が待っていた

道は二つに分かれる

ガマズミはどこにでもある食べてみようと思うかどうか

自然を取るか都会を取るかなんでも自分でやるかお金で解決するかと言い換えるともう少しわかりやすかも知れないそもそも選択そのものができないという人も少なくないに違いない

生きていれば意識的・無意識的に拘らず毎日たくさんの選択肢(選ばないという選択肢も含めて)の中のどれかを選び続けることになる時には前後に矛盾する選択もしながらしかもそれを忘れ続けながら否応なく次の選択を迫られていく究極の選択肢はこの2つに絞られているように思う

小さな農漁村に行くとまず空気や水が綺麗だなと感じる自分の目が少し良くなったかと思うほど視覚がクリアで鮮やかに感じられるしばらくするとここに住む人々はどうやって生活しているのかと幾分か不思議な気持になる朝の天気を見て今日は山へ行くか川(海)へ行くかを決める日によっては休む誰に断る必要もない山で何をするのかといえば仕事らしい仕事もない(山でせっせと仕事をしているのは土木会社などのサラリーマンだ)川や海のひとは昆布を拾ったり(拾えばそれに付随する作業・仕事は続く)漁があれば漁へなければ漁具の手入れとか漁獲も半分はあてにならない「運」の要素が大きいそれでどうやって毎日を暮らしていくのか都会の人から見たら不思議な感じがしないだろうか少なくとも私には不思議な気がする

寒村に暮らそうと都会に暮らそうと毎日食べるものは食べ着るものは着なくてはならない病気や怪我をすれば医者にもかからなければならないし薬も必要だ足腰の弱くなった人々には車が不可欠だし田舎でのガソリンは概して都会より割高だある意味田舎暮らしはお金がかかるのだ確実に現金収入を得られるサラリーマンの仕事はほとんどない計算できるのは日雇いの現場作業員がせいぜい老齢になればそれさえ無理だそれでどうやって暮らすのか

子供たちに聞いてみたくても子どもがいないほとんどの学校が廃校されているからだ小さい子どものいる家庭は都会へ引っ越こせと強制されているようなものだ村政としては矛盾というかジレンマである子どもを地域に残せば財政赤字広い地域の子を無理に1カ所に通わせようとすればむしろ都会へ出た方が選択肢が広がるという状況がある

画家などという仕事は都会に住んで田舎暮らしをしているようなものかも知れないどうやって暮らすのか私は田舎暮らしのノウハウがよく分かっていない「田舎人」らしい最近は田舎へ行くたびにより強くそう感じるようになってきた「根無し草」そう言われたことも思い出す